ドラクエ11感想その12【過ぎ去りし時を求めてまで】

・ウルノーガを倒す。とりあえずエンディング。だけど何か消化不良ではないか?あの禍々しいキャラクターは結局何だったのとか?

・自分が不満があるのは、これがフェイクエンドなのだという事。いや、きれいにまとまってはいる。キャラクターの成長も(一見)描けているし、プレイ時間も30時間程度経っている(はず)。つまり、普通のゲームだったらここで幕を下ろす。

・スタッフロールが流れたらそのまま席を立つ人ってのは結構いると思う。映画館なんかでは、スタッフロールになったら席を立つっていうのは大人だったらやる。子供向けの映画の場合は最後に特報があったりするので、結構残ってくれるんだけど、つまらない映画だと途中で立ち去る人って結構いるんだよ。

・ここまでの30時間はごく普通のゲームで、面白さを感じられないプレイヤーは多分ここでプレイを止めてしまう可能性が高い。でも、ここでプレイをやめたらこのゲームの面白さ、すごさの3分の1も体験できないのである。

・例えば、実況動画やってる人間が「はい、今回の動画、なんとか終わらせる事ができました。」で、完結して、後日攻略サイトを見たり、コメントを見てまだ続きがある事を知って進めるというのは、このゲームが持っている衝撃を弱める事になると思う。あのシーンは何の予感もせずに体験してほしい。そのためにはネタバレは避けた方が無難で、だからこそ私の感想もこんなに回りくどくなっているのである。

・自分がこのゲームにはまだ何かあると思ったのは、「最後の鍵」を入手していない=まだ行けない場所があるという事を知っていたから。けれど、最後のカギはドラクエシリーズを遊んでいないと存在すら知らない。最近のゲームはポケモンとかもそうだけど、スタッフロールが流れて終わりじゃなくて、クリアしてもまだ遊ぶというのが当たり前。だからそういうゲームの経験値が高くないと*1、このエンディングがフェイクなのだという事はいまいち気づきにくい。かといってフェイクなんだよと他人に伝えられると衝撃が弱くなってしまうという。

・だからここから先は自分がそうだったように、軽い気持ちでクリア後の探索、おまけを集める気持ちで訪れて、えーっ!?と驚いてほしいのだ。

・今作は「セカイ系」だった*2。これがドラクエ11を語る一番大事なポイント。

・これまで「世界をやり直す」という選択は、「今が最悪。なんとしても変えなくてはいけない」というのが行動の動機として用意されていた。悪い結果になった、だから良い結果が出るまでサイコロを振り続けますというのが再挑戦、プレイヤーが選ぶべき選択として用意されていた。

・でも、ここに「何かが欠けているが、平和になった世界」と「欲しいものが手に入るかもしれないが、全て(世界の平和も)を失うかもしれない世界」の二つをつきつけられたらどうなるだろうか?「世界をやり直す」という選択は「今が最悪」という場合と違って難しいものになる。

・たしかに悲劇的な事はあったかもしれないけど、この世界だからこそ手に入ったものもある。時を巻き戻したらそれらは全て無へと帰る。信頼関係を築いたグレイグとはまた敵対関係になるし、ヒロイン級の成長を遂げたセーニャを否定する事にもなる。

・しかも、勇者自身がした選択が最悪な結果を生んだというエピソードが重ねられていた。王様に出自を話した事もそうだし、ベロニカの身長が元にもどる事もなかったし、ロミアは泡になってしまうし、聖獣を誤って倒してしまうし、未来というものは望むようにはならないという世界が繰り返し描かれてきた。今回も何も得られない可能性がある。

・いままでの30時間はこの葛藤を生むための前振りだったのである。

キリスト教が支配する世界では、人はこんなことで悩まなくていい。なぜらキリスト教は「予定説」という考え方をしている。全てはクリエイター(神)が書いたシナリオ通りに進んでおり、人というちっぽけな存在はどんなにあがいても神のシナリオから逃げる事はできない。例えば、過去に戻ったとしても、主人公の脳内の記憶とかも過去の時点にもどってしまい、またもう一度同じ人生を繰り返すというような感じで未来は多少は変わるかもしれないが、分岐と呼べるほど大きな変化はしない。神は偉大なクリエイターで、人はそれに従うしかない存在なのだから、人に責任はなく、全ては神の仕業なのである。

・ここで、「何かが欠けているが、平和になった世界」を望んでも間違いではない。というより、ここでこの選択したらセーニャとラブラブになって、そのままスタッフロールみたいな展開の方がよかった。選択をさせて表エンディングというのは見せた方がいい。

・というのも、ここがゲームのヤマ場だからである。勇者はこれまで他人に頼まれて行動する事が多かったのだが、このシーンで(おそらく)初めて自分の意思で選択をするからである。感情の振れ幅が一番大きくなる場面であり、これを単なるおまけレベルに落としてしまっているのが本当に残念としか言いようがない。

・「欲しいものが手に入るかもしれないが、全て(世界の平和も)を失うかもしれない世界」ここで「かもしれない」という部分が重要で、ようするに世界をやり直す選択は、言い方向へ必ず進むものではなく、ギャンブルなのである。つまり、自分の欲しいもののために世界そのものに対して博打をするという、なんというか清廉潔白な「いいやつ」ではなく、考え方によっては「悪人」そのものだよなぁ。

・けれども、「勇者とは最後まで決して諦めない者」とか、「あの禍々しいキャラクターは結局何だったのとか?」とか、そもそもゲームタイトルが「過ぎ去りし時を求めて」とか、プレイヤーを先へ進ませるためのカギがあちこちに用意されまくっているわけである。多分、ここで過去へ戻らせるつもりでシナリオは構成されている。

・カジノの描写を見る限り、スタッフはギャンブルそのものにはあまり否定的ではないんだと思う。

・かくして勇者は過去へ戻る。魔王の剣を持って――格好よすぎる!めっちゃ悪魔の子してるわぁ。ここから個人的に心臓バクバクで、どうなっちゃうんだろうというドキドキと一緒にプレイしていた。こんな感覚にさせてくれるゲームは久々で、だからこそ自分はこのゲームをものすごく高く評価しているのである。

*1:こういうのを要求するからハイコンテクスト

*2:厳密には違うけど