「ゲンロン8」読んでないけどまだ書く

前提:「ゲンロン8」読んでないけど - 鈴木君の海、その中
 作品を見ろ!解説を見るなといいつつ、書籍を買わず口コミだけで全てを語ろうとしているアホさ。大ブーメランが決まっている。

 読んでいない以上、事実誤認については語りようもないが、叩かれるほどの悪い事だとは思わない。個人的にはゲームライターの嫉妬と受け取った。愛情を持っているオレが書いてないのになんでこんなやつが!とゴジラを単なるリハビリ道具にされた私のシンゴジラに対する感情に近い。

 本については興味ないので、ゲームと歴史についてちょっとだけ語りたい。

10:44
英語でヒストリーって歴史の事いうんですが、これとストーリーというのは実は語源が同じで、その、物語る、つまり何が起こって、こんな事があって、こんな事があったんだよっていう風に説明してくれないと、だいたいの人間は何にも理解できない。つまり、何年に何がありました。何年に何がありました。何年に何がありました。……それでどうしたの?っていう。だから実は今の日本の教科書は間違っていてあれは本当の意味の歴史じゃないんですよ。あれは年表です。お互いにつながっていない話がただその羅列されているだけだから、その中に因果関係もないし、ストーリーが無いので理解ができない。で、歴史学というのは元々歴史の物語というのはですね――物語なんですね。世界の中のあちらこちらで同時に起こっている出来事を自分一人で経験することはできないし、生まれる前に起こった事はもちろん全く分からないわけですね。それをですね他の人達が言った事とか書いた事とかそういうことを集めてきてじゃあどういう風な世界だったんだ?たとえば戦争が起こったのはどうしてだったんだ?誰と誰が仲が悪くてなんでどういう行き違いでここでもめ事があってそれで戦った結果どっちが勝ってっていうようなことを整理して物語る事が「歴史」なんです。だから他の人が書いた物、他の人の話を集めてきた物が実は歴史になるんですね。そうすると、その他の人が書いたことをまるごと信用できるのかっていうね。まず、またそこに戻るわけです。で、誰も書いていない事は無い事になっちゃうわけです。記録がないところは書きようがないわけです。物語もできない。

13:10
それぞれの国がですね。自分たちの国がいかに立派でいかに正統かっていうことをそれぞれの国は一生懸命書こうとするんですがだいたい自分の国が正しかったって書くから、それ全部集めてきても世界史とは言わない。それは国民国家史ではあっても。まず、あの日本と韓国だけじゃないんです。だいたい隣り合ったところは書くと基本的に意見が対立するんですよ。だって戦争っていうのは自分が「正しい」、向こうが「正しい」、それがぶつかって戦争になるのに負けた方がね、その、じゃあ、「私が全部悪ぅございました。」――それは実は嫌々言っているわけですよね。本当にそう思っていない。思っていないから戦うわけです。

14:26
歴史というのは実はですね、今私たちが生きている世界がなんでこんな世界かということを知るために、じゃあ過去に何があったからこういう風になったの?っていう事をみんなが理解するために書くもんなんですよ。なのでその時代が変わったら今から過去を見るわけだから整理の仕方が変わってくる。結果が違うわけだからそっから見ていくと説明も違うというのがじつは普通なんですよ。だから絶対的に正しいって神様じゃないんだから、人間が書くんだから、しかも人間が人間の世界を説明するんだからその、絶対的に正しい歴史とか正しい世界史はないんだということを私たちは最初にしっかりと認識しようと。

うろおぼえなので間違いがあるかもしれないが、

1.エロくないエロゲ葉鍵系など)
2.同人ゲーム(月姫・東方・ひぐらし
3.フリーゲームRPGツクール吉里吉里
4.MMO(ラグナロクFF11PSO、モンハン)
5.FPSXBOX
6.コンシューマリメイクブーム(MOTHER1+2、ファミコンミニ
7.遊戯王
8.太鼓の達人
9.ニコニコ動画(実況動画)
10.後期ギャルゲ(アイマスラブプラス

その他)ゲーム会社再編(スクエニバンダイナムコセガハード撤退、ハドソン子会社化、岩田任天堂

これが私が見てきた00(ゼロ)年代である。確かに細分化しているように見える。東浩紀は「麻枝准」や「竜騎士07」を高く評価していたと記憶しているので「1」や「2」に造詣が深いのだろうが、一方で「5」のジャンルには疎かったのではないだろうか?私自身上記の中からプレイ時間が多くアツく語れるものを選べと言われたら「3」「6」「7」になってしまい、ゲーム業界において傍流でしかなく誰にも望まれてない物しか書けない。

 上記の1〜10はそれ自体が国みたいなもので、文化も言語も違う。しかも困ったことにこの時代は海外を含めて誰もが中世の暗黒期到来みたいに感じていて「自分たちの国のやり方が一番正しい」と思っている。例えば洋ゲーにハマっている人間は和ゲーやっているやつを下に見ていた(今もそうなのかはわからないが)。その上でメディア自体も一本のゲームについて熱く語るという流れができていたので、なおさら他の分野に目を向けるヤツがいない状態が続いていたのである。

 ゲンロン8の失敗は4〜5人では上記の全てをカバーしきれないという事に気づかなかった事である。歴史ではなく国民国家史を元にした評論だったのだろう。読んでいないけど多分そうだ。もちろんここには年表や国民国家史ばかりで歴史を記してこなかったゲーム業界にも問題がある。

 よく見ていただきたいが、これらは完全に独立しているわけじゃない。例えば「3」で話題になった作者が「2」や「6」へ行く。あるいは「1」が話題作になって「6」へ行くとか。1〜5はPCゲームでコンシューマから客を持っていったとか。「1」「4」「7」あたりは90年代からの流れでもつながりを見つける事ができる。最近(10年代)においては「7」がスーパーレアのようなTCG的な価値観をソシャゲに持ち込んだり、局地的なものだと思われた「2」「3」が海外へ渡っていた事に驚いたばかりなので、改めてゼロ年代は評価しなおした方がいいと思うようになっている。
 
 夏目〜の件は冷静に考えると、ゲームライターに多い人間だったのでいらなかった。忘れてほしい。