着ぐるみという発明【ゴジラ1954】


King Kong (1933) - Kong vs. T-Rex Scene (4/10) | Movieclips

 


Godzilla, Ishiro Honda, 1954 - Tanks Attack Godzilla

 


Godzilla Raids Again, Motoyoshi Odo, 1956 - Anguirus v Godzilla

 


King Kong vs Godzilla - Round 2

 


Godzilla vs. Biollante 1989 - All Godzilla Scenes!

 


Godzilla (1998) - All Godzilla Scenes HD

 

  シンゴジラ世代の方々には「きぐるみ(笑)」とバカにされてしまう和製ゴジラだが、実はちゃんと合理的な理由があるのをご存じだろうか?知っている人間からすれば上記の動画を見ただけできぐるみはスゴいという事がわかるのだが、多分知らない人間が多数だと思うので説明する。

 

 まず、キングコングと恐竜の対決動画を見ていただきたいが、大昔の怪獣というのはこのように1コマずつ人形を動かしながら撮った写真を並べて1つの動画を作るというアニメーションに近い手法で作られていた。このためどうしても制作に時間がかかるし、動きがカクカクしてしまいがちだった。

 

  そこから見ると初代ゴジラというのはだいぶ滑らかな動きをしている。それはきぐるみ怪獣というものを円谷が発明したからだ。きぐるみによって基本的に元となる映像自体は一発で撮れるし、動きはカクカクしないし、アドリブに強いという、当時の制作スケジュールや予算の都合で言ったらこれ以上ないアイディアだったのである。

 

 さらに、この着ぐるみというのは日本人が演じる上でとても相性がよかった。お隣韓国人と比べればハッキリするが、大陸の影響を受けている韓国人は日本人に比べて身長が高い。スポーツに詳しい人ならご存じだろうが、日本人は割とチビなのである。だから映画のフィルムに映った時、実は不格好であったりする。だが、そんな日本人だからこそ「きぐるみ」の中に入る事によってインスタ映えならぬ、画面映えするキャラクターを生み出す事に成功した。*1

 

 ゴジラの身長というのは実際に中で演じている人より高身長である。ちょうどゴジラの鎖骨あたりに人間の頭があり、首から頭にかけては実は余白があったりする。いわば首と頭の分だけ身長が水増しされているのである。さらに背びれと、横に長いしっぽによって、美の基本形となる三角形のバランスを持ったデザインとなっている。ゴジラのあのデザインは着ぐるみだからこそ合理的なのである。*2

 

 ちなみに、1作目のゴジラが鈍重になったのは計算外である可能性が高い。というのは同じ円谷が製作した2作目、3作目のゴジラはどちらも1作目より素早く動くからだ。1作目の時は製作スケジュールに余裕がなく、デザインに凝りすぎたため動くのに適していない造形になってしまったのだと私は考えている。戦闘機相手に手をふるっても当たらずそのまま海に帰るという情けないシーンも思った以上に格闘できなかった事に由来しているのではないか?

 

 本当は素早く動けるゴジラを再生倍率を変えて遅く映し、重厚感を出しているのは実は平成ゴジラなのである。なので、シンゴジラは昭和ゴジラというより、平成ゴジラの方法論を真似ている。やり方をパクっておきながら、批判をするというような事はしないでほしいものだ。

*1:この着ぐるみ文化がゆるキャラに受け継がれているのだが、話が脱線するので、今回は省略。

*2:ちなみに完全に人型であるウルトラマン仮面ライダーにはこの三角形の美が無い。

じぇむかんの攻略法

sudzuking.hatenadiary.com

じぇむかんの特徴

  • リアルタイム配信がメインだが、平日のゴールデンタイムに配信するので、参加できる事は稀。その一方で完全週休二日制を採用、休日の配信は少ない。
  • 大人の事情によってアーカイブに残らない事もあるらしく、幻のやりとりが存在する
  • 初見大歓迎なのに、初見者が分からない用語・知識が多い。そのくせまとめサイトが無い。
  • 公式サイトには身長以外の情報がなく、ニュースサイトの方が詳しい*1。ちなみに座って雑談配信するのがメインなため、身長の高さは割とどうでもいい
  • 全身美麗モデルなのに、ラジオ的配信が多いためほぼ動きがない。構図も同じため映像的に飽きやすい。
  • 音メインだとしても音量バランスが明らかにおかしい時がある
  • 謎のタイミングで訪れる「ちょっと待っててね」
  • 普通に好きなゲームを実況すればいいのに大人の事情で出来ていない
  • (いまのところ)「かわいい」が売りになっているため、女性ファンの獲得が難しい
  • twitterの更新頻度高めだが、夜更かししすぎ
  • グループ内のキャラが偏っている(ひきこもり、ボケキャラ、名前一人称など)
  • 全体的に学力が低く、常人なら10秒で済む件に5分かかる
  • 独特の世界観があるため、視聴者が割と気を遣う
  • 本人の意向をどれだけ汲んでいるのかわからないが、モデルの見た目から受ける印象と動画内容に剥離があり、ちゃんとした集客が出来ていない(特に後期メンバー)
  • 精神年齢が小学生で止まっている
  • VTuberとしては明らかに失敗しているが、「新しい形のアイドルです」と言われると何も言えない。

 

じぇむかんの魅力

  • 歌がシンプルに上手いのに封印して、それ以外の部分で努力している事
  • (いまのところ)弱小配信者だから広告表示もなく見れる
  • (いまのところ)グラビア活動とかやっていないのでクリーンなイメージがある
  • 変にプライドが高くなく親しみやすい
  • かつてのモ○娘。やA○B48的な他のメンバー蹴落とそう感がない
  • それぞれの出身や趣味が違うため、コラボ配信による化学反応が面白い
  • このままよーすぴ達の道楽で終わってもいいと思えるような気楽さ
  • ダメ人間なのに頑張っているのが逆に勇気づけられる

 
はじめに見るべき動画群


【うたねねコラボ】ホテル配信!!

 いきなり紹介するのがサウンドオンリーとかどういう事だというツッコミがきそうだが、じぇむかんの雰囲気を伝えるのにはこの動画が最適だと思った。正直、この動画を見て面白さが伝わらなかったら、多分あなたとじぇむかんは合わないだろう。

 

 冒頭のゆるい女子会トークから始まり、唐突に始まるUSAゲーム。締めは歌うま集団による「かえるの合唱」。だいたいこんな感じ。

 


ひなちゃんと一蘭行ってきたよ!【食レポ】

 内容自体はごく普通の食レポなのだが、店舗を3Dモデルでわざわざ再現するという無駄っぷり。さらにカメラワークをリアルにしたために肝心の女の子があんまり映らないという。品目も静止画(写真)が一瞬映るだけで、サウンドオンリーに近いというシュールさ。努力する方向を思いっきり間違えている。

 

 じぇむかんメンバーはボケキャラが多いというのは定説になっているが、実は運営自体がボケキャラであるという事にそろそろ気づいた方がいいだろう。

 


GEMS COMPANYの星菜日向夏と今立進さんによる23日(日)オープニング

 TGSのオープニングとエンディングトークが2日間それぞれ2つで、4つの動画が公開されている。プロの芸人がMCというだけあって絡み方が上手い。オープニング(珠根うた)から「バーチャル」な部分に触れるというみんなが思っている疑問に踏み込む。ポンコツ姉さんでいいのか?(音羽雫)、シャツに名前を書いている事、早すぎる新メンバー募集(星菜日向夏)などガンガン切り込んでいく。

 

 じぇむかんメンバーのフリートークの(良い意味で)狂った感じと、仕事に入った時の上手さのギャップに何かの原石を感じる動画群である。

 


ねねとひなかの1時間目

  騒がしい二人による配信。顔芸とdisり合う口の悪さがアレな内容だが、じぇむかんの動画にしては動きがあって初心者にもわかりやすい。互いに相手のキャラ設定をいじり合うという企画的にギリギリな内容で笑かしてくれる。

 

  じぇむかんメンバーは台本がないとちゃんと進めることは困難だろうが、このように台本を書いた人間が予想していない方向へ転がった時に面白さが出てくる。アイドルとしてはどうかと思うが、芸人としてはレベルの高い存在である。

 

 つづく。

*1:なおこのサイトも「うーたま」の出身地が公式と違って埼玉県となっているため資料の信憑性が疑わしいという問題

音響監督【ゴジラ1954】


1993年 ゴジラVSメカゴジラ レコーディングライブ 1/3

 

 2作目「ゴジラの逆襲」は1作目の半年後に作られた。そのためスタッフはほとんど同じだった。にも関わらず評判は1作目ほどよくなかった。1作目と2作目の違いは本編監督の「本多猪四郎」と今回紹介する「音楽」を担当した「伊福部昭(いふくべあきら)」がいない事が関連していそうである。

 

 伊福部昭の魅力は引用した動画を見れば分かる。伊福部は実際の映画スクリーンを映して、それに合わせて演奏を行う。つまり、指揮者である自分がテンポを作るのではなく、映画のテンポに合わせて曲を演奏するというスタイルを取っている。当たり前ではあるが、映画音楽は映像ありきの音楽であるわけで、映像を主体に置いている。先に楽曲だけ作って監督にポイと渡すという形ではない。伊福部自体がまたひとつの「監督」でもあるのだ。

 


Évolution de la musique de maestro Akira IFUKUBE

 

 伊福部昭は編曲の天才である。伊福部昭の曲のバリエーションはメロディのみで考えると実は多くない。ものすごく「使い回し」の多い作曲家なのである。おなじみの「伊福部マーチ」もゴジラが初出ではなく、もともとは自衛隊用の楽曲が「フリゲートマーチ」になり、「宇宙大戦争マーチ」「怪獣大戦争マーチ」になっていった。場合によっては軍隊とは関係ない楽曲にも似たようなフレーズが使われていたりする。

 

 では、それら「使い回し」の楽曲はどれも同じなのかというとそれは違う。楽器の編成から、フレーズの構成、音の強さなどその楽曲が使われる場面に合わせて「編曲」されているのである。ひとつひとつの場面に合わせて作られているため、すべての演奏はオンリーワンであり、そこで使われる事に意味がある。今作のフリゲートマーチも恵美子を見送る場面で使われたものと、芹沢が決心した時では微妙に違う。後年のゴジラ映画でありがちな過去作で使った軽すぎる録音音楽を垂れ流すという行為は、伊福部の音楽性からはかけ離れているのである。

 

 こういった伊福部の方向性は、彼が「律動(リズム)」を重要した事に由来する。音楽の3要素といえば、「メロディ」「ハーモニー」「リズム」だが、伊福部は音楽の歴史を研究した結果、人は「リズム」→「メロディ」→「ハーモニー」の順に音を開発していった事、動物や昆虫ですらハーモニー、メロディを奏でる事はできるが、リズム感という高度なものを持っているのは人間のみである事など、リズムこそが音楽の本質であると考えた。現在の王道進行だとか小室進行だとか言っているJ-POP界とは根本的に違う。

 

 伊福部は「低俗」という価値観の反逆者でもある。ゲーテの「真の教養とは、再び取り戻された純真さに他ならない」、アンドレ・ジイドの「定評のあるもの、または、既に吟味し尽したものより外、美を認めようとしない人を、私は軽蔑する」などの発言を引用したり、「お地蔵さんの頭に鳥が糞をした跡を美しいと思う感性」だとか「脇の下をプップ鳴らした音に興味を持った幼少期の大作曲家」の話とか、「そばつゆは先にだけつけるのが正しく、べちゃべちゃ全部つけるのは邪道と言っていたそば通が、死の間際に一度でいいから充分に浸して食べたかったと話した」事を引用しており、彼はインテリ層が嫌うような「低俗」にこそ本質があるという趣旨の事を言い続けている。

 

 そんな彼だからこそ「ゴジラ」の音楽を担当できたのかもしれない。当時、この手の怪奇映画、化け物映画というのは低俗だと思われており、そんな作品の音楽を担当したら音楽家として終わってしまうみたいな風潮があったらしい。

 

 ゴジラの足音や鳴き声も伊福部昭が生み出したものである。特に鳴き声はゴジラにかかせないものだが、コントラバスの弦を特殊な方法で擦って出すという低俗かつ邪道な音の出し方である。伊福部がいなかったら今のゴジラはいなかったと言っても過言ではない。

 

 そんな低俗の極みであったはずのゴジラが、気がつけばインテリ層がドヤァするための作品になってしまった事に対して、真のゴジラファンは複雑な感情を持ってしまう。

 

 なお余談だが、本作のメインタイトルで使われているテーマは、今作において自衛隊出動シーンや消防車に使われているようにゴジラに立ち向かうテーマであって、破壊者ゴジラのテーマではない。このテーマがゴジラと結びつくのはゴジラが他の怪獣と戦う頃で正義の味方としてのテーマ曲だったりする。破壊神ゴジラのテーマはシンゴジラでも使われてる東京湾上陸時の音楽で、これが後のキンゴジとかでもアレンジされながら使われている。

二次創作2

前提:二次創作 - 鈴木さんの海、その中

 

 クッパ*1とかいうキモヲタの産物としか言いようがないものを公式化しようという署名が集まっているらしい。日本において悪い意味で積極的な人種は、日本人というカテゴリーに収まっていたからあの程度で済んでいただけで、外国人のアグレッシブさが加わるとここまで問題児になるんだなぁと呆れてしまう。

 

 個人的にこういうキャラクターが出来る事に文句はない。素直にかわいいと思う。けれどもそれと公式に加えるかどうかは別問題である。もし、これを認めてしまうと任天堂はいいとしても、その他のメーカーや著作者達はこの先例によって苦しむ事になりかねない。

 

 例えば原作小説でものすごく清楚で肌を出すのを恥じらうお嬢様キャラクターがいたとする。それに対してビキニ姿のセクシーお嬢というものを作り出して個人で楽しむ分には問題ないが、それを勝手に署名を集めてきて公式化しよう!などと言っていたら「キメェ」と思うのが正常だと思うのだ。

 

 これは数による暴力であって、個人の妄想に基づくねつ造でもある。本当に原作へのリスペクトを持っているのなら、こういう行為はひっそりと行うべきである。

 

 唯一の救いはこれが新作に関わる部分であるという事だ。ようするにこの女体化アイテム*2が手に入る状態と、クッパが仲間になる条件を揃えて、実際にシステムに組み込めばできない事もないからである。

 

 任天堂には著作権には厳しい会社なんだけれども、一方で顧客の評判を気にする会社でもあるので、どう出るのか全く分からない。そこがちょっと怖い。

*1:キングテレサ姫というのもいるらしいが、「キング」で「姫」というバカっぽいネーミングは笑いどころなのか?

*2:もっともキノピコという女が人間化しているのであって、9割方男集団のクッパ軍団が女体化できるのか不明。

幻のポケモン

 


【公式】新ポケモンの謎を、オーキド博士とウィロー博士が追う! 「W Professors」Profile01「新しいポケモン、発見」

 

 上記の動画を見ていろいろな感想があるだろうが、個人的には「またか」である。

 

 2018年現在幻のポケモンは以下の通りだ。

ミュウ

セレビィ

ジラーチ

デオキシス

マナフィ

ダークライ

シェイミ

アルセウス

ビクティニ

ケルディオ

メロエッタ

ゲノセクト

ディアンシー

フーパ

ボルケニオン

マギアナ

マーシャドー

ゼラオラ

メルタン new

  個人的に幻のポケモンとして認めているのはミュウだけで、オマージュ的意味合いのセレビィまではギリギリで許すとして、それ以後のは完全に入手を諦めている。というか昔は映画の販促としての配布はしていなかったので、どんどん調子に乗っていってるとしか言いようがない。

 

 2ケタ超えた時点でやりすぎだとは思わなかったのだろうか?正直この追加がゲームを面白くするとは思えないので、このまま幻のポケモン商法をいつまで続けていくのだろうか?と疑問しか持たない。