怨霊を呼び出したのは誰だ

前提:古事記と日本書紀、2つのメイドインジャパン - 鈴木君の海、その中

 出雲大社大国主命(おおくにぬしのみこと、以下オオクニヌシ)を祀っている神社で、日本で一番大きい神殿らしい。これは日本神話の国譲り(葦原中国平定)においてオオクニヌシが「譲ってもいいけど、そのかわり大きな宮殿を立ててくれぃ」とおっしゃったためらしい。

 一方で、国譲りがそんな口約束だけで行われたわけがないだろうという意見もあり、武力によって力づくで奪い去り、怨霊となったオオクニヌシを鎮めるために出雲大社を作ったという説もある。これは「御霊信仰」という考え方で、怨霊を鎮める為に神として祀るらしい。

御霊信仰 - Wikipedia

御霊信仰(ごりょうしんこう)とは、人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本の信仰のことである。

 井沢元彦さんは自著「逆説の日本史」にて、古代日本において怨霊の力が滅茶苦茶強かったので、死者を祀る場所を作り、和が生まれ、仏教が信奉されていったという事を説明していた(うろ覚え)。このうち「怨霊を鎮めるために仏教が輸入された」のは間違いない事で、宗教的理由以外で儒教道教を差し置いて仏教だけが栄える理由はない。しかし、「怨霊を発生させないために和が生み出された」については疑問が残る。「和」に効果があったのなら、その後仏教を布教する必要などなく、自分たちの編み出した和だけで充分だからだ。

 そもそもなんで朝廷側が「怨霊を信仰する必要」がある?こんなオカルトじみたものは田舎モンの古代日本人のものであって、大陸的な思想ではない。*1大陸の先端技術や思想を取り入れふてぶてしくも先住民を支配しようとする輩が、自分たちの大陸の常識を無視して、原住民の持つ特有信仰の価値観で行動するだろうか?大国ア●リカがフ●イン倒した後にアメ●カで大事件が起こった時にこれがフセ●ンの怨霊のしわざだーって言ってビビるくらいありえない。そんな怨霊を信じてしまうようなやつは自ら戦争を仕掛けないだろう。

 これまでこのブログで述べてきたように既に縄文時代の頃から日本には「和」という思想があり、これがただの信仰でなく、「民族の生きる知恵」として生活レベルで組み込まれたいわば原始宗教として存在していたのだ。そして怨霊とはその「和」で唯一受け入れられない存在であり、だからこそこの存在が怖れられ、避けられてきたのだ。*2

 そして、ここに朝廷がやってくる。朝廷は和の思想を理解し、その思想を利用して国を統一しようとした。この際、おそらく朝廷は武力によっての統一に失敗した。原住民である日本人、特にオオクニヌシを祭る出雲族に勝てなかったのだろうと予想する。私の予想では朝廷は大陸的であって大陸人でないのだ。大陸人(特に中国には)中華思想という自分たちのいる場所が最も栄えているという思想があり、日本のような資源もなければ交通の便も悪い辺境の地を狙うメリットなどない。あるとしたら、それは当時の大陸が戦続きで、弱いクニや一族が追い詰められてたという事。その敗戦国が逃げ場として辺境の地を目指した可能性である。そしてこの島ならば自分たちの国を築けるぞと思ったら、現地には自分たちよりも強いやつらがいたというわけである。世界のほとんどの国では農耕民族は狩猟民族を倒していった。しかし、日本においては原始的な狩猟に近い生活を送っていた民族の方が農耕民族よりも強かった可能性があるのだ。原住民の価値観に後から来た者が合わせたからこそ、大陸文化の影響を受けながらも「和」という日本独自の思想が生き残ったのだ。

 しばらく経って、「わ」に受け入れらた朝廷だが、朝廷の目指す政治が行えない現象が起こる。それが「怨霊信仰」だ。一体誰が信仰しているのかというと、当然原住民である縄文系部族である。グローバルに活躍したい朝廷が政治の案を出しても、原住民が「それは俺たちの先祖の意見とあわねぇ」と言って拒否されてしまうのだ。つまり、怨霊信仰とは疫病や災厄にビビって朝廷側が作り出した信仰ではなく、何でもかんでも朝廷の好き勝手にさせたくない原住民による「現政権への反抗心」が生み出した信仰だと考えられる。例えるならばゴジラは怨霊のイメージで描かれている。映画「ゴジラ」には水爆実験によって眠りを妨げられたゴジラが日本に来た事を国会で論じている時に、グローバル派が「外交問題を荒立てたくない」としてゴジラの出現理由を隠そうとするが、女性議員は「事実は公表しろ!」と言う。ゴジラは災厄であり、自然の化身であり、水爆の被害者であり、荒ぶる神である。つまり、怨霊とは、グローバル派に対し、お前たちのやってる事はこの怨霊を怒らせるばかりぞ!という抗議に使える便利な存在なのだ。そして、朝廷が怖れたのはこの怨霊というオカルトではなく、怨霊を信仰し暴徒となりかけた反対勢力、「人間」の方を怖れたのだ。

複数の民族を結びつけるために、和が編み出される

和に加わることのない死者が恐ろしい力を持った存在になり、自然現象や災厄の原因=怨霊の神になる。

怨霊を封印するほこらを作り、やがてそこが神社になり神として祭る事で怒りを鎮めようとする

朝廷が和の思想を利用してオオクニヌシ信仰を取り込もうと考える

取り込んだのはよいが、和を乱す大陸文化を取り込めないジレンマ

仏教(異国の神)が伝来。当然、古来の神を信仰する人々から反発

いろいろあって仏教布教。怨霊の神々は姿を変え、縁結びの神などになっていく。

古事記日本書紀できあがる。

 これがぼくのかんがえたさいきょうのじけいれつ。つまり古代の怨霊信仰とは敵対する勢力の怨霊が攻めてきてその対策に神殿を作っていたのではなく、むしろ身内の人間がやたらうるさく怨霊!怨霊!と言ってきた「まつろわぬ神」の信仰なのだ。日本人は何でもかんでも受け入れるわけではなく、自分たちの文化に合うものを取捨選択してきた。道教だろうと儒教だろうと自分たちの価値観と違えば遠慮なく捨てられるのだ。しかし、一方でなぜ「仏教」だけは生き残る事が出来たのだろうか?この事を知るために仏教とは何なのかを調べていこう。

つづく

*1:中国も韓国もリアリズムの儒教を政治に使っており、こんなオカルトの中のオカルトみたいな怨霊信仰を受け入れるとかあり得ない。

*2:ついでにいうとこの和→怨霊ならば井沢氏のいうようなオオクニヌシ惨殺説を支持する必要自体ない。和と異なる意見を言ったまま死んでしまえば充分和から外れたる死者「怨霊」となるのだ。