大和民族は何処から来たか?

 気づいていた人も多いかもしれないが、ここ最近のエントリは長浜浩明氏の『韓国人は何処から来たか』という書籍をゴールに書いてきた。彼は私の言いたい事を大体言ってくれている。韓国人は北方中国人と縄文人の子孫であるという事だ。しかし、次の部分には疑問符がつく。

10:50頃〜
 やがて歴史時代に入ってですね、韓国人というのは自分をどのような民族として規定しているかと、まぁ神話ですけども、この神話なるもの。これは13世紀にできた神話なんですけども。まぁ、一言でいうと「庶子と熊女の雑種」であると、「それが我々の祖先だ」ということを韓国人は――。庶子というのは妾の子供ですよね。これはあんまりいい言葉ではないですけどもハッキリ言って儒教世界ではですね。まぁ、これはあんまりますます言いたくない。儒教世界――儒教的な価値観では、本当に低い身分の女性、そこから生まれたものを庶子ですね――妾というのはそういう風に言われてきたんです、昔から。それが正しい考えとは思わないですけどね。彼らの価値観によると。それを自らの祖先だと言っているという事なんです。

46:48頃〜
 ここにあるのがようするに檀君神話といわれる神話です。まぁ、一言でいうとさっきもいいましたように「我々の――韓国朝鮮人の祖先はですね、熊女と庶子から生まれた雑種である」ということがここにかかれている。ただ、原文じゃなくて今、韓国の教科書で教えている建国神話はそのような事にはなっていないんですけどね。変えています。あまりにも惨めじゃないですか。自分達の祖先が熊女と庶子の雑種から生まれたなんてそんなことねぇ。日本人だったらそりゃ神の巫女から始まってですよ。それで我々の血の中、日本人の血の中にはその天皇陛下の――神武天皇の血とかですねそういう――だからこそ大きな一家なんだとそういうような思想になっている。熊女と庶子じゃあねぇ、ちょっと恥ずかしすぎて、ちょっと。この辺は大いに変えて子供たちに教えている。

(「長浜浩明氏講演『韓国人は何処から来たか』(展転社刊)2015.5.24頑張れ日本!群馬県支部設立3周年」より一部表現を変えて引用)

 この部分は飛鳥時代以降の宗教観で見すぎている。アマテラスは朝廷(ヤマト)の神であって庶民の神ではない。たしかに竹田恒泰のように皇族の血筋が一般人の中に入って行く事はあるが、全体から見ると圧倒的に少数だろう。私は内容から察するに古事記はヤマト朝廷の人間が国内に向けて自分達の出自を書いたものだと考えている。わざわざ周りに説明するという事はおそらく朝廷の人達は元々の畿内人ではなく、どこかからきた人達が出雲含む本州人に自分達の出自を語ったものというのが私の考えだ。

 そして重要なのは檀君神話だ。

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 太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた。桓雄が常に天下の人間世界に深い関心をもっていたので、天符印三筒を与えて天降りさせ、人間世界を治めさせた。
 部下3000人を率いた桓雄は、太伯山(テベクサン)上の神壇樹(シンダンス)下に下りて神市(シンシ)とした。かれは風伯、雨師、雲師をしたがえて穀・命・病・刑・善・悪をつかさどり、人間の360余事を治めさせた。
 このとき一匹の熊と一匹の虎が洞窟で同居していて、人間に化生することを念願していた。桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて、100日間日光を見ないように告げた。熊は日光を避けること37日目に熊女(ウンニョ)になったが、虎は物忌みができず人間になれなかった。
 桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ、檀君王倹(タングンワンゴム)を産んだ。檀君は中国の堯帝が即位して50年目の庚寅の年に、平壤を都として朝鮮と呼んだ。のちに都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移して、1500年間も国を治めた。
 周の武王が即位した己卯年に、箕子(キジャ)を朝鮮に封ずると、壇君は阿斯達からかくれて山神となった。寿命が1908歳であった。(姜在彦『朝鮮儒教の二千年』01朝日選書 p.28)

 朝鮮の歴史はここから始まる(らしい)。ものすごくマイナーな神話だが、朝鮮人にとってこれは正史に近い扱いを受けている。北朝鮮にいたってはわざわざ檀君の骨を飾ってドヤ顔しているくらいだ。

ねずさんのひとりごと 檀君神話という韓国のデタラメ

北朝鮮では、平成5(1993)年に、平壌でこの檀君の骨が見つかったと発表し、また韓国では、国定教科書檀君の存在を「史実」として子供達に教えているのだそうです。

 日本人からすると、「檀君は1900歳近くまで生きた」とか「朝鮮5000年の歴史」とか言われても笑い話にしかならない。だから日本においては檀君神話をマジメに考えている人は私の見る限りどこにもいなかった。しかし、この神話はとても重要である。庶子とは今風にいうなら愛人の子供で、熊女というのは獣である。中華思想の持ち主はムジナだの、イヌだの、ムシだの周りにいる野蛮人を獣に例える。もしも原始朝鮮人中華思想にかぶれていたのなら、熊を神聖な動物だと思うだろうか?「朝鮮5000年の歴史」と中国よりも上等な話を作ろうとしているところも気にかかる。

 神話は物語だ。いくらでも都合のいいように作れるのに、なんでわざわざ不名誉な話にしてしまうのか、目的は何か?……私なりに考えたところ、それは当人たちにとっては不名誉でも何でもない「史実」だったからだろう。特に「自分は何者か?」というアイディンティティーに関わる部分。周りの大陸人(中華系)と同等の存在ではない、自分達は特別な○○人だということを名乗るためこの神話は作られた。ヘレネスがギリシャ神話を共有することで民族を区別していたように、自分達と他の野蛮人を区別するための神話、だから捨てられなかった。

 そして、我々の身近には朝鮮人の他に「熊」を神聖視する人達がいる。

「かみ」の語源には諸説、それこそ十指を超えるほどの説があり、一般的に支持されているのは、「かくりみ(隠り身)」だということになっています。「かみ」は姿が見えないものだから、「隠れた身」だろうと。
 でも私は、それを素直に信じることができない。「かくりみ」だとすると、なぜ「くり」が抜け落ちたのか。その法則が、どうしても説明がつかないのです。
 いろいろと考えあぐねた結果、私は「かみ」は、韓国語の「コム」なのだと思うようになりました。

「コム」とは熊のことです。そしてこの「コム」が日本では、熊の「クマ」、神の「カミ」なのではないかと考えています。古代朝鮮民族には、熊を神とする信仰がありました。

 じつは、韓国語の「熊」=「神」説は、すでに歴史学者、李丙菇氏によって提唱されていました。李氏は、北東アジアに熊信仰が多いことに注目しました。たとえば朝鮮族に伝わる神話、いわゆる檀君神話に神が熊を娶る話が出てきます。天帝の子桓雄が、人間界を治めるため地上に降りたところ、熊女と虎女が人間にしてくれといってきた。さまざまな試練を与えたところ、虎女は耐えることができず、熊女は試練を乗り越えた。桓雄と結婚した熊女は檀君を生み、檀君は朝鮮国をうちたてた、という話です。ここでは、熊は神様の妻です。

 また、日本でも、アイヌ民族は熊を「カムイ」とよびます。「カムイ」とは神のこと。熊は「カムイ(神)」とよばれるほかに、名をもっていないのです。

(「ひらがなでよめばわかる日本語 中西進」より引用)

 そう。アイヌだ。アイヌだけじゃない。クマソと呼ばれる人々もいる。彼らは南九州にいた反ヤマトの人々だ。クマソの地が現在の熊本。熊の名を冠した地名にクマをモチーフにしたゆるキャラであるくまモンがいるあそこである。南九州の弥生人骨が琉球縄文人に近いこと、アイヌという縄文文化を受け継いだ人達が熊を神聖視していたという事実からは、「熊を崇めていたのは縄文人」だと考える事ができる。

 さて、檀君の話は13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する。それよりも古くに成立した古事記日本書紀を持つ日本人からは、ここも笑い話にされてしまうわけだが、重要なのはこの13世紀に朝鮮半島にいたのは何者なのかという事である。現在の韓国人は実はモンゴルの影響がものすごく大きいわけだが、言うまでもなく、この13世紀の高麗時代、朝鮮半島は実質モンゴル帝国支配下にあった。元寇こと蒙古襲来の時に騎馬民族であるモンゴル人に船を出したのは、高麗人らしい。3拍子(馬が走るリズム)のアリラン、酒好き、一重がちな顔、足の長さ、日本人が韓国人を見た時に感じる違和感はモンゴルにあると言っていい。

 では、檀君神話はモンゴル人の影響で出来たのか?と考えがちだが、どうやら違う。モンゴル人にとってはスーホの白い馬に見られるように、馬こそが神聖な動物であって、熊ではない。これは騎馬民族らしい価値観だ。という事は高麗人はどうやら、熊を神聖視する縄文的価値観を13世紀まで持っていたという事になる。日本が平安時代には縄文系の顔を鬼の顔だと忌み嫌うようになってもなお、彼らは縄文的な価値観を持っていたという事になる。つまり、韓国人の方が日本人よりもアイヌよりも(民族としてではなく血統としての)縄文度が高い。

mtDNAからみた日本人の祖先

アジアの各集団が持つ縄文人弥生人と同じDNA配列の数

縄文
朝鮮 11
本土日本人 10
遼寧省 7
雲南少数民族B 7
琉球 6
武漢 4
ブリヤート 4
山東省 3
モンゴル 3
北海道アイヌ 2
広州少数民族 2
トゥヴァ 2
新疆 2
広州・香港 1
長沙 1
雲南少数民族A 1
タイ・ベトナム 1

弥生
朝鮮 6
本土日本人 5
ブリヤート 3
モンゴル 3
北海道アイヌ 2
琉球 2
遼寧省 2
山東省 2
広州・香港 2
新疆 2
雲南少数民族A 2
雲南少数民族B 2
タイ・ベトナム 2
台湾先住民 1
台湾漢民族 1
西安 1
トゥヴァ 1

縄文・弥生人のD-ループ領域の文字配列をもとに、DNAデータバンクに登録されているアジア各地の現代人集団の中に、同一の配列をもつものがどれくらい存在するのかを検索した結果を示す。
検索に用いた文字配列が弥生人より縄文人の方が多いので、各集団で一致している個体数も縄文人の方が多くなっている。

【「日本人になった祖先たち」篠田謙一 2005より引用・改変】をさらに引用・改変

 科学と書物、両方を重ね合わせると、熊女とは――縄文人の妻の事を意味すると考えられないだろうか?

 さて、これまで意味不明だった「日本神話」。そこに「檀君神話」というもうひとつの物語があらわれた。この二つを見比べて見えてくる事実がある。

 まず、日本神話の最高神がなぜ父であるイザナギではなく、娘アマテラスのなかといえば、アマテラスこそ最初の「日本人」であり、イザナギはその日本人の前身である「大陸へ出た縄文人」――つまり「倭人」だからである。もっと厳密にいえば倭人とは、現在のアメリカ人が黒人も白人も人種が違ってもアメリカ人であるように、縄文人弥生人が手を組んでできた集団である。篠田謙一氏の図を見てわかるように、弥生人がいた場所に縄文人も多い。彼らは敵対関係にあったわけじゃなく、同一民族なのである。

 そして、物語はこの倭人の夫婦であるイザナギイザナミが「八島」を生む。これはこの極東の島国を作り出したのは倭人だと言っているに等しい。ところがイザナミは火(文明の象徴、戦火の象徴)を生んで死んでしまう。ここでは単純に周王朝時代の混沌とした大陸文明倭人が出会ったと考えていただこう。倭の範囲が大陸にまで及んでいたと考えれば、倭国大乱の舞台は大陸(朝鮮半島)だったと考えられる。つまり、日本国内で争いの跡が見つからなくても当然である。そこだけが倭ではないのだから。イザナミは火に惹かれたか、その犠牲となって遠くへ行ってしまう。海洋民族である縄文人と親しい、あるいは縄文人そのものだったイザナギは海という逃げ場があったので島へ戻ってこれた。しかし、大陸へ残してきてしまった妻の事を忘れられないでいた。

 「逃げちゃダメだ」と決心したイザナギはケガレ多き黄泉の国へ行く。ケガレとは汚れではない、ケ(日常、生きるために必要なエネルギー)が枯れてしまうような場所、それは毎日が非日常である戦場を意味する。つまり、当時の戦国時代の大陸世界を意味する。やっとの思いで妻を見つけたイザナギだが、すでにイザナミは黄泉の国の文化を受容し、大陸人の妻となっていた。檀君神話に出てくる熊女とはイザナミの事なのである。イザナミは自らの複雑な境遇に対する思いをイザナギに吐露するが、妻が寝取られた事でヘタレたイザナギは現実を受け入れられず逃げてしまう。その際、イザナミイザナギに向かって呪いの言葉を言った。言うまでもなくこれが日本神話に出てくる「最初の怨霊」だ。オオクニヌシが怨霊だというのは俗説だが、イザナミはかなりハッキリと古代の神「怨霊」として描かれている。

 イザナミは言う「あなたがこのような仕打ちをなさるのなら私は(大陸で)倭人の子、仲間を殺さねばなりません」。イザナギが言う「おまえがそのように言うのなら私は(日本列島で)それよりも多く倭人(日本人)を生もう」。このようなバックボーンが存在した後にアマテラスが生まれる。父イザナギは黄泉の国へ近づくなと子供たちに言って、アマテラス(日本人)はその言いつけを守るというところから日本神話はスタートする。アマテラスが太陽神という立派な神でありながら、その性格がなぜ引きこもりっぽく見えるのかというと、アマテラスを崇める人達は戦争に負けた人達の子孫であり、大陸のスゴさも怖さを知っている人達であり、あまり戦火に関わりたくないという願望があるからである。また、弥生人の女性が現地人である縄文人を上回るほど産むようになったのは父であるイザナギの言いつけを守っているからである。

イザナギの子=日本人
イザナミの子=朝鮮人

 これらの話はおそらく多くの人に受け入れがたく、いわゆるトンデモの一種として扱われるのだろう。別にそれでもかまわないが、日本神話も檀君神話も不名誉な記述があるにも関わらず、大切に保管されてきたものである。私はそれらがもっている「世界観」を読み取って、そこにどんな価値観の人達がいたのか、何があったのかを復元したかった。別に思惑があって、こういうストーリーを作ったわけじゃないので、間違いなら間違いでもいい。ただ、現時点ではこのようなことがあった可能性が高いという話である。

 もちろん、この話に納得できない人もいるだろう。日本は遣隋使、遣唐使に見られるように国をあげて大陸と関わりを持とうとしているわけで、さらに倭寇が生まれるように、海洋民族としてのメンタリティは「日本神話が語っている日本人」の範囲だけでは理解できない。だから日本神話が語っている別の部分に注目する必要がある。父イザナギのいいつけをアマテラス(日本人)は守った。しかし、同じく生まれたスサノオ(?人)は「母ちゃんに会いたいよ〜」と泣きながら父親に追い出される。スサノオイザナギ単体によって生み出された神であって、イザナミは母と呼んでいいのかグレーゾーンである。しかし、彼が言いたい事は何となく分かるだろう。日本人が生まれた時、日本列島にはもうひとつ、「母に会いたい」という願い、大陸への進出願望が強い集団がいたという事である。

つづく