本末転倒なLie Scale

「私はいままでウソをついたことがない」

 SPIという採用試験では、性格適正検査というものがありその中の設問文に上記のような物があったと記憶している。これはライスケール(Lie Scale)と呼ばれ、自分をよく見せようとウソの回答をしているかどうかを判断するのに使われるらしい。

 特徴としては

  • 「〜したことはない」「〜一度もない」で終わる否定文
  • 必ずしも断定できないことを断定している文

らしい。

ちなみに手元にある「これが本当のテストセンターだ!」にはこんな例が載っている。

  • 勉強がいやになったことは一度もない
  • 風邪を引いたことは一度もない
  • 喧嘩したり怒ったことは一度もない
  • 悪口を言ったことは一回もない
  • 感情的になったことはない
  • 他人を疑ったことはない
  • 約束を破ったことはない
  • 知り合いの中に嫌いな人はいない

 冷静に考えればありえないものばかりだが、これは本当に妥当だろうか。

 例えば「約束を破ったことはない」というのはまず、「約束とは何か?」が問題になる。そもそも約束事を作らない、作ったことの無い人は破る事もできない。今の時代は予約キャンセル当たり前だから一度くらいあるだろうという設問者の思い込みが見て取れる。

 「知り合いの中に嫌いな人はいない」だって「はい」を答えられる人がいる可能性があるだろう。好き嫌いは主観なのだから他人がどうこう言える事じゃない。「好きではないけど、嫌いというほどでもないなぁ」みたいな人が「はい」を答えたら嘘つきにでもなるというのか?断定的でないことを断定しているから嘘だというのなら、まずこの設問者こそ不確定な事実を自分の勝手な妄想で断定していると言わざるを得ない。

 また基本的にどれも「過去形」である事が気になる。例えば「これからも他人を疑う事はないだろう」と未来形で断定するならば「自分をよく見せるための嘘」である事が分かる。しかし、過去である以上実際に疑った事がない事が事実の可能性だってあるわけだ。「風邪を引いたことがない」なんて健康な人だったら、時間制限内じゃ思い出せず、記憶違いで実はあるけど無いとか書いちゃうかもしれないし。

 一番の問題はこのライスケールで導き出された嘘つきは本当に問題のある嘘つきなのか?という事だ。嘘っていうのは何も自分をよく見せるためだけにつくものではない。人を貶めたり、責任から逃れる嘘ってのもあるだろう。これらは上記の自分をよく見せるとは別のベクトルの嘘である。

 ネットなんかではライスケール問題を見たら、本当に当てはまっても、「いいえ」にしましょうなんてあるが、これは「嘘」に当たるんじゃないか?よく見せる嘘はアウトだが、目的の達成のための嘘はおkという謎の判断。本当の正直者は落とされ、嘘つきを名乗る正直だけど過去に嘘をついた事のある人は受かるという奇妙な論理。

 そもそも「一度も嘘をつかない」に「いいえ」と答える人は「時には嘘をつく人」だ。そんな時に嘘をつく人が答えた他の質問は全て正しいといえるのか?という今度は採点者が悩む番になってしまう。わざわざ嘘つきのパラドクスを持ち込まなくてもこの設問がある時点で、嘘つきが受かるテストになってしまっている。つまり設問の意図自体が意味不明である。

 また、この性格判断ではライスケールにひっかかりやすい人、そうでない人が出てくる。例えば、「私は温厚である」、「私は怒りっぽい」。この二つは矛盾するわけで、同時にハイを答える事はないように思えるが、私は違うと思う。

 怒りっぽい人に関しては単純だ。自分でもイライラしやすく、周りもそんなピリピリな様子から自他共に怒りっぽいという事を認識できる。

 しかし、温厚な人はそう単純ではない。周りからは「○○ちゃんて大人しくてみんなのオアシスよね」と言われるが、家族からは「あんたってほんと細かい事で怒るわよねぇ」と言われていたら上記の質問には何と答えたらよいのだろうか?おそらく「受かるためには」どちらかの自分を捨て、こっちの性格だろうと個人の「思い込み」で選択せざるをえない。

 これまでに挙げた設問だけでも、「他人の評価は無視して思い込みで自己を作り、本当は当てはまるけど受かるために自分の認識と違う事を書く人」は嘘つきではないが、「温厚だが時に怒りっぽく、約束を破らず知り合いに嫌いな人がいない人」は嘘つきという事になってしまう。これ、前者と後者で優劣ってありますか?

 こういった前者を採用していった結果、どんな企業が増え、どんな社会が作られたかというと、つまりはみなさんご存知の通り、このようになっておるわけです。