血液型性格診断はなぜテレビから消えたのか?そしてなぜ消えないのか?

 先日テレビで血液型と性格の関係について話題が出ていた。かつてならA型はこんな性格で、B型は――というような検証番組だったはずだが、その番組では、「最近テレビでは血液型性格診断をやらない」と言って、信じるか信じないかを問題にしていた。なんというかもうすでに血液型性格診断は「それはあります!ちゃんと検証して証明しますよ〜」というレベルから「そもそもあるのか?」というレベルに落ちたんだなと思った。

 その番組では「B型が特に悪く言われており、B型バッシングの内容だったからそれに配慮してテレビでやらなくなった」と結論づけていた。ネットを見てみると確かにB型だけ悪いことを書かれていると感じる人が多いらしい。しかし、私はこれに異を唱えたい。テレビというものは低俗である。嫌韓がこれだけ多い時代に韓流ドラマで主婦を釣っているし、視聴者に既に飽きられてきた萌えアニメをオタク向けに作り続けるし、既に時代との整合性をとりづらくなった渡る世間やサザエさんを延々と続けるくらい視聴率を重視するのだ。どんなに反発を受けても数字さえ取れれば続ける、それがテレビである。だから、テレビから血液型性格診断が消えた理由は単純である。視聴率が取れない、それだけだ。これまで血液型には需要があったのになぜ視聴者は血液型――を見限ったのか。三つの見方ができる。それは若者、女性、にわかファンである。

 一つ目、若者。そもそも血液型性格診断はなぜ「日本で流行った」のか?それは日本が自称単一民族であり、自分たち以外の民族に出会う事がなかったから。ヨーロッパでもアメリカでも他の民族と関わらない国は少ない。そしてその環境にいれば異民族の特徴の方が同じ民族の持っている特長よりも違いを感じやすくなるのだ。ブロンド女はバカとか黒人は足が長いとかアメリカの黒人はやたらとラップしてるとか。ところがかつての日本人は髪の色や瞳の色をとってみても分かる通り見た目だけでは、個性が表せなかったのだ。だから個性というものを血液型という交換不可能な生れつきの違いに求めた。*1でも、今はそんな必要はない。学校や社会ではグローバルが叫ばれていて、既に視野は異文化に向いている。人によっては外国人と触れてみて血液型より民族の違いの方が性格の違いを表すという事を身を持って感じる事だってありうる。また、個性化が進んでギャル、アキバ系、チャラ男、オネエ系…と所属する集団が生み出す差異の方が大きく、同じA型同士でもリア充と非リアでは理解ができず、血液型が違っても同じ所属の人間の方が理解できるという環境になってしまっているのだ。

 二つ目、女性。かなり低俗な話になるが、女性が血液型性格診断を好むのは浮気相手を選ぶためという俗説がある。ご存知の人もいるが、血液型は両親の血液型の組み合わせによって生まれる子供の型が決まる。つまり旦那との組み合わせで生まれる子供から逆算して、この血液型の相手なら浮気できるという事を探せるのだ。しかし、最初からこの事を目的としている事が分かると不都合であるため、気軽に楽しめる占い風を装って、「遊びだから気軽に教えてね〜」というノリで相手の情報を入手できるのである。私はこの説をネット上で見つけたときはなるほどな〜と思ったが、現在ではほぼ通用しない。なぜならば現在は大沢樹生の一件でDNA鑑定という究極の親子判定法が確立してしまったため、血液型を基準として自分の子であるかないかを判断する状況ではなくなったのだ。これまで積極的に人生をエンジョイしたいビッチな人達が信仰していたものが、何の価値もなくなってしまったので、見捨てられたとも言える。

 三つ目、にわかファン。これは血液型性格診断に限った話ではないが、世の中の人気というものはにわかファンによって支えられている。ポケモンを楽しんでいる人のほとんどはリザードンかっけぇピカチュウかわいいと言っている人達なのであって、個体値を厳選して努力値を調整するんだと言っている人達ではない。エヴァブームの中心にいる人は綾波萌え〜カヲル君萌え〜と言っている人達であって、ガフの部屋とは――と言っている人ではない。ガンダムファンのほとんどはミノフスキー粒子を理解できないし、東方projectのファンは幻想郷とは何なのかを理解してない。ガチオタではないのだ。血液型性格診断を信じている人のほとんどは理屈を理解しているわけでも、信仰として持っているわけでもない。ただ、周りがハマっているからこれには何かあるんだろう、と言って本来それを仕掛けた人が考えたものとは別の楽しみ方を自分なりに見出しているのである。日本人は「周りが〜」という言葉に弱く、「奥さん、この冷蔵庫、ご近所さんはみなさん買っていますよ。今、買っていないのは奥さんだけですよ。なぜ買わないんですか?」みたいな事を言ってしまえば「みんなが買っているんなら〜」と了承してしまう傾向にある。かつて血液型性格診断は「みんな」が信仰していた。ところが今は「若者」と「女性」がそこから抜け落ちてしまった――するとそこには何が残るだろうか?それは「個体値が〜」「ガフの部屋が〜」というガチオタな人しか残らなくなる。にわかファンにとってガチオタは「みんな」ではないためオタクしか残らなくなった時点でにわかファンは減っていくのである。血液型を信仰しているのは現在では血液型オタクだけとも言える。

 それにしてもなぜこんな疑似科学が消えないのか?なぜ血液型オタクは消えないのか?それは性格と血液型にはちゃんと関係があったからだ。ただし、その関係とは因果関係ではなく、相関関係である。


2:21ぐらい〜 その問題、経済学で解決できます

 因果関係っていうのは明らかに二つの事象が関連していて、Aが大きくなればBが大きくなるというようにひとつの現象が、もうひとつの原因になっているものを因果関係という。相関関係というのは確かに関係があるんだけれどもAとBとの間に直接的な原因と結果みたいなものがない、というものなんだ。

(中略)

 これがね、相関関係であって因果関係でない典型的なものなんだ。「アイスクリームが売れれば売れるほど、溺死者が増える。」溺れ死ぬ人はアイスクリームが売れれば売れるほど作れる。で、これはホントなんだよ。アメリカでちゃんと統計とってみたらアイスクリームが売れれば売れるほど、おぼれじぬ人が増えるんだ。で、これはカンタンで、そうそう、コメントで書いてある人の通り、アイスクリームが売れるということは「暑い」って事なんだよ。「夏になった」って事なんだ。そういう風になればなるほど海でおぼれる人は増えるに決まっているんだ。つまりこの二つは相関関係であって、因果関係ではないんだよ。で、こんなのはおれらでもだまされないじゃん。でも、世の中には騙される人もたまにはいて「アイスクリームが売れれば売れるほどおぼれる人が増えるんです!だからアイスクリームを売るのをやめましょう。」って言ったら「その通りだ!アイスクリームは危険だ!」って言っちゃう人がいるんだよ。

岡田斗司夫ゼミ11月2日号より引用)

 そもそも血液型というものを占いではなく、科学として見ている人達は何を根拠にしているのか?一般に多いのはアフリカのO型人類から始まり、やがてA型とB型に分かれながら北上していき、最終的にAB型という突然変異種が生まれたというものらしい。まぁ、一言で言えばネグロイドからモンゴロイドコーカソイドが生まれ、オーストラロイドが生まれたという人種分類のパクりである。

 つまり、性格は人種ごとに決まっており遺伝によって決定されるという考えである。アツい場所に住んでいる民族にはこのような生活スタイルが主流になり、そのような生活を長く続けていたのでこういう体質になったというようなものである。

 そして、この場合の因果関係とは「体質の遺伝」によって「性格が決まる」がひとつ。もうひとつが「遺伝」によって「血液型が決まる」である。つまり血液型と性格というのはともに遺伝によって決定されるものという共通点があるので、互いに相関関係があるのだ。

 そもそも身近にいる同じ血液型とは親子関係である事がほとんどと言える。O型×AB型の組み合わせを除いた全ての夫婦が自分と同じ型の子を生む確率をもっている。少数派であるABやBは教室や職場で同じ血液型を探すより、親子から探した方が早いと考えられる。そして親と血液型が同じで性格が同じだったとしても、それは血液型が同じだからではなく、親から血圧が高い体質だとか、暑がりな体質だとか、運動嫌いな体質だとかと一緒に血液型が遺伝したから似たような性格になっただけと考えられる。

 さらに、ここでツッコミを入れたいのはO型というのはアフリカだけでなく、全国にいる。あつい場所にも寒い場所にもO型は存在するのだ。そんな人達が全員体質が同じなどありえるだろうか?そもそも心臓のような臓器は移植しても「拒絶反応」を起こすくらい自分と他人を分けるものであるが、血液は臓器に比べてカンタンに輸血できる。それは同じ型なら互換性があるという事であり、体質が全く違う相手に渡せるものなのだ。視野を地球全体に広げてみれば地球上の全人類を4種類に分類する事自体がムリがあると言えるだろう。

 血液型性格診断がなくならないのは、それが相関関係であるにもかかわらず、因果関係であると思い込むリテラシーの低い人達が多いからである。

 ――余談だが、お隣韓国に関してB型が多いからああいう社会になったみたいな言説があるがどう考えても違う。日本と韓国は血液型の分布はほぼ同じで、ネット上の数値を調べるならば韓国のB型は3割、日本のB型は2割で、たった1割違うだけである。絶対数で見ると大差があるように見えるが、実際は3/10と2/10でどちらもその社会では少数派である。国会だったら間違いなく意見が通らないレベルである。ということは韓国で反日やってるひとの過半数は几帳面でマジメもしくは協調性のある人という事になる。韓国の歴史ドラマを見れば、日本の時代劇でちょんまげかつらをつけるのと同じノリで「つけヒゲ」つけた役者がよく出てきて、日本人よりも毛深くない民族で、体質が違うんだな〜と、血液型より体質の違いの方が性格に関係することがわかるのだが、あんまりこっちで攻めても今度は人種差別が蔓延しそうなのでやめとこう。

*1:これは同じく単一民族である韓国で血液型――が流行り、多民族国家の中国で流行らない理由の一つでもある。