弥生人は日本固有種

 日本人のルーツについて語り始めて、もう1年以上経っている。本来ならこんな古代の話はさっさと終わらせたいわけだが、なぜこんなに念入りに話すのかというと、世間ではあまりにもバイアスのかかった見方が主流になってしまい、事実よりも自身にとって都合のいい解釈ばかりされていると感じる事が多いからだ。特に、愛国も反日も共に「弥生人」を悪に仕立てあげ、弥生人をこの日本から駆逐する事を望んでいるようだ。

 しかし、そもそも「弥生人」「縄文人」の定義がおかしい。例えば次のような事が気になる

  • モンゴルの方が縄文的

例えば、弥生人のルーツは大陸人らしいが、「大陸のどこ」にルーツがあるのか全く不明である。もっとも「騎馬民族征服王朝説」などというデマが広まっているために、モンゴル人が弥生人のルーツだと考える人がいるが、これがそもそもおかしい。まず弥生人といえば「歯並びが悪い」のが特徴であり、よく明石家さんまだとか、柴田理恵だとか、久本雅美などを例に挙げて日本人の歯並びが悪いのを弥生人の影響だとするのが一般的だが、当のモンゴル人は歯並びがいい。どれくらいいいのかと言うと歯医者さんのサイトに丈夫な歯の見本として紹介されるくらいにはいい。ネットでモンゴル人を検索しても出っ歯な画像なんて出てこないわけで、一体何のこっちゃである。次に弥生人は「酒に弱い」らしいが、モンゴル人は「酒に強い」。私は一杯飲むだけで顔が赤くなるような人間だが、一方で私の知人の韓国人は普通にグビグビと酒を飲めるのである。アジア人は酒に弱いと思っていた私は「なんで?」と疑問だったが、韓国は高麗の時代にモンゴルの影響を強く受けたために酒に強い人がいるらしい。つまり「酒に強いから俺は大陸人じゃない」とは言い切れない。また、縄文人のDNAと共通するパターンを持っているのはモンゴル系民族のブリヤート人である事を忘れてはいけない。篠田謙一氏のデータから見てもモンゴル単体でアイヌよりも縄文人ミトコンドリアDNAとの一致率が高いという結果が出ている。

そのアイヌについて「日本列島に元々住んでいたのはアイヌ人達だ」という言説が主流になっている。しかし、この説は明治時代に生まれたものであり、当時は世界的に見ても黄色人種がバカにされていた時代――つまり、今以上に白人至上主義が蔓延していた時代の産物である。時代が進むとアイヌを表現するのにわざわざ白人と黄色人種の中間である「古モンゴロイド」などという概念が生み出され、我々新モンゴロイドは一番新しい人種で一番後に広まり、古モンゴロイドを圧迫していったと考えられた。しかし、現在のDNAの分化からは新モンゴロイドの代表たるO(中国人に多い)とP(ネイティブアメリカンに多い)と近縁なのはR1系統であり、R1系統は北部インド人(アーリア系)やケルトを初めヨーロッパ人の大半に見られる。白人は古モンゴロイドよりも新モンゴロイドに近いわけで、大陸人の方が白人に近い、あるいは白人はモンゴロイド的な容姿をしていないとおかしいはずだ。それを前提として考えると例えば次の写真から受ける印象も変わってくる。

参考1:【ニュース】ワタリウム美術館で石川直樹+奈良美智展 開催 | Art Annual online
参考2:日本は多民族国家だと思う。 | さきさかるゆの「先手7二桂ナラズ」
参考3:サハリンと日本、その「連なり」を感じる旅 | 名画でホッ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
参考4:奈良美智 サハリン(樺太)を旅する (4ページ目) - Togetter

ニヴフ白黒の古い写真から判断するとモンゴロイド以外の何者でもないが、上記の奈良美智氏の写真などを見てもらえば分かるとおりハーフ顔の子が存在する。蒙古ひだが強いので、白人的な顔立ちではないが、ブラウンの髪や白い肌が印象的だ。彼らニブフはアイヌに影響を与えている事が遺伝子的にも証明されている。つまり、白人的な形質を彼らが持ち込んでいたとしてもおかしくはない。

アイヌの形質についてももう一度考え直す必要がある。我々はやけに堀が深く影の濃いアイヌ人の画像ばかり見せられてしまい、アイヌ人と日本人は別種だと考えてしまいがちだ。しかし実際には現代日本人がコスプレしたのではないか?と思わせるようなアイヌも存在する。

参考5:Tattooed Lips Pictures | Getty Images
参考6:Local style: Strange smiles of the Ainu women
参考7:アイヌ~デンマーク国立博物館コレクション【歴史画像】 - 株式会社渋谷栄事務所
参考8:http://asianmotifs-focus.tumblr.com/post/1396953044/ainu
参考9:アイヌ - 幕末・明治の写真と絵葉書 イマジンネット画廊ブログ

大久保利通あたりがこの中に紛れ込んでもバレないんじゃないかと思うが、アイヌと日本人は世間で言われるほど遠くはない。実際Y染色体でもミトコンドリアDNAでも両者は同祖である可能性が高いのである。写真や形質による見分けなどどの程度信用してよいのか分からない。例えば黒澤映画のやけに濃い顔とただいまのジャニーズ顔を見比べればたしかに差があるように見える。しかし、黒沢映画は戦後の映画なわけだから、大規模な人種の入れ替えは起きていないわけである。

また右翼系の日本人の中には上記の古い価値観に縛られアイヌは純血だと言い張るが、これもおかしい。純血とは「いい品種ができたら未来永劫残さなければならない」という畜産や農耕の考え方である。これが自分とよそを分ける大陸思想の根幹となっているのは言うまでもない。縄文人が持っていたとされる狩猟採集の価値観では美男美女いたら追いかけ手に入れるというのが普通である。だから現在のアイヌや沖縄のように混血が進んでいた方が縄文人っぽいわけだ。少数民族少数民族で続き血を混ぜてはならないというのは私から言わせれば「動物園的」な価値観で、これは畜産文化と弱者を守るという建前を持つキリスト教的価値観で日本本来の価値観ではない。

  • 白人の学問は宗教的

日本人は欧米を過度に信用しがちだ。たしかにある時期西洋は世界のトップだったかもしれないが、過去は過去である。儒教がかつては最先端の科学だったのに対し、今では「あらら?」な老害的な価値観になってしまったように、いつまでもトップであるとは限らない。そもそもモンゴロイドとはドイツのヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハが提唱した分類である。

学説史的にはドイツの医師ヨハン・フリードリッヒ・ブルーメンバッハによる分類が人種理論の嚆矢とされている。ブルーメンバッハは1775年にゲッティンゲン大学に提出した論文 De generis humani varietate nativa (ヒトの自然的変種)において頭蓋骨の比較研究などを基礎に、コーカシア(白人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒人種)、アメリカナ(赤色人種)、マライカ(茶色人種)の5種に分類した。

ブルーメンバッハの分類方法および定義の特徴は、ユダヤキリスト教的文化および当時のヨーロッパ人の伝統に強く影響を受けていることにある。たとえばコーカシアという定義は、旧約聖書ノアの箱舟が辿り着いたとされる中央アジアコーカサス地方命名の由来としており、実際のヨーロッパ人の居住地域や特徴とは関係のない定義である。また、モンゴリカという定義も単なる「モンゴル人」という意味であり、当時のヨーロッパ人に知られていたモンゴル帝国の人々を表しているに過ぎない。

初期の人類学が成立したこの時代のヨーロッパは、未だユダヤキリスト教的文化の伝統に支配されていた時代であった。この時代、『創世記』のノアの箱舟が辿り着いたとされたアララト山がある中央アジアコーカサス地方は、アルメニア教会などにとっては聖地とされており、且つ旧約聖書の創世記1-6章では、白い色は光・昼・人・善を表し、黒い色は闇・夜・獣・悪を表していた。このことから、当時の人類学を主導したヨーロッパ人は自分たちを「ノアの箱舟で、コーカサス地方に辿り着いた人々の子孫で、善である白い人」という趣旨で、自らをコーカソイドと定義した。

実際ブルーメンバッハは、さまざまな人間集団のなかで「コーカサス出身」の「白い肌の人々」が最も美しくすべての人間集団の「基本形」で、他の4つの人類集団はそれから「退化」したものだと定義している。このような宗教的影響から、現在は同じコーカソイドに分類される、イタリアなど南欧圏に居住するキリスト教徒は白人、トルコ及びパレスチナ地方など中近東に居住する異教徒のイスラム教徒(ムスリム)は有色人種と規定するなど、現在の人類学的レベルで判断すると非合理的かつ恣意的な分類概念となっている。

科学の世界に宗教が入り込んでいる。今現在の三大人種も何をもってして三大なのかといえば、聖書に登場するノアの三人の息子達が元ネタで、セムモンゴロイド、ハムがネグロイドヤペテコーカソイドの祖先という事らしい。西洋は科学の国じゃないのか?と思われるかもしれないが、西洋は実は宗教が支配していた時代が長い。特に中世は宗教的と言うしかなく、世界地図もやはり大陸を3つに分けて、アジア(エルサレム)を上に描いていた。

モンゴロイドの分類もひどいもので、「モンゴル人みたいだからモンゴロイド」である。モンゴルという地は西洋人にとってはどうでもいい場所なのだろう。モンゴロイドネイティブアメリカンやオーストラロイドを含む以上、実際にはモンゴルの影響ではなく、太平洋沿岸に広がっているのが黄色人種である。地名から名前を取るのであれば、「パシフィコイド」と名づけるのが正しい。ところがこういう白人の価値観を疑いもしなかった結果、モンゴロイドは北の寒冷地(モンゴル)で生まれ、その後に中国や日本に南下してきた人達という見方をしてしまう。日本に関しては列島が大陸とつながっていたと考えればありうるが、大陸から遠く離れたニュージーランドにまで行っているのはおかしいだろう。

  • 作為的な人骨復元

縄文人は蒙古ひだがなく、弥生人には蒙古ひだがハッキリある――というのが通説になっているが、人骨からはまぶたの状態まではわからない。たとえば私はどちらかといえば額が出ており顔に凹凸がある方で、全然扁平顔じゃない上に二重だが、蒙古ひだはあるわけで、骨格だけで蒙古ひだのあるなしは分からない。では、なぜ蒙古ひだについて語られているのか?それは現在の本州(特に近畿)と沖縄・アイヌの形質差から導き出されたと考えるしかない。確かに日本のように、弥生時代以降人種的な変化がない民族ならば現代の形質から古代人を想像する事も可能だが、大陸はそうもいかない。長浜浩明氏のご指摘どおり、弥生人骨に似た人骨と現代韓国人には形質に大きな差がある。大陸は多民族で遊牧民も狩猟民も漁猟民もいるわけで、混血も当たり前である。弥生人の故郷が仮に大陸だとしても、現代の大陸人の顔が弥生顔だとは言えない。ちなみに骨格から見たら現代の中国人も韓国人も日本人も弥生人骨からは遠い。生活環境が違うのだから当然である。

  • ネイティブではない顔が縄文系と言われる

沖縄はどういうわけか日本人好みの顔がそれなりに生まれるらしく、アイドル的な人気有名人も多い。だが、それらを全て縄文系と片付けるのはムリがある。例えばガッキー(新垣結衣)はミトコンドリアDNAで見るとA系統である。確かに美少女である事に間違いないが、A系統というのは縄文時代の人骨からは一切見つける事ができず、むしろ弥生時代になってようやく見つかる遺伝子なのである。つまり、ガッキーは弥生美人か、混血による美人と見た方がいいわけで縄文系の顔ではない。ガッキーだけではなく、例えば満島ひかりなどもフランス系アメリカ人の祖父がいるわけで、やはり外側から血が入ってきているわけである。

土井ヶ浜遺跡というのが典型的弥生人の見つかる場所で、今でいう山口県にある遺跡だ。そして山口県といえば長州藩であり、しょうゆ顔の上流階級に多い顔というのが定説になりつつある。しかし、その土井ヶ浜の方が実は白人に近いという可能性が出てきた。

参考10:土井ヶ浜人の白人形質 山東省臨淄(りんし)遺跡の白人 スキタイの道と長江文明人の船旅と日本人の道 ( 人類学と考古学 ) - 民族学伝承ひろいあげ辞典 - Yahoo!ブログ
参考11:土井ヶ浜遺跡の渡来系弥生人は白人のDNAを持っていた? | 日本の歴史と日本人のルーツ
参考12:古代中国の日本人?: 猫の覗き見
参考13:漢王朝以前の古代中国には、白人の国が存在していた?! | ひろむのメモ帳ファイル
参考14:http://www.kjclub.com/jp/exchange/theme/read.php?tname=exc_board_68&uid=29951&fid=29951&thread=1000000&idx=1&page=1&number=23578

2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝らは、約 2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨、及び現代の臨シ住民から得 たミトコンドリアDNAの比較研究の結果を発表しました。

その結果は、約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、約 2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近いという結果になり、現代の臨シ住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらなというものでした。

一方、3000年前〜1500年前の中国西部は、白人が支配する地域であったことがほぼ定説になりつつあるようです。新疆ウイグル自治区楼蘭の美女と呼ばれるミイラは、白人のミイラとして知られています。中国西部では600体もの白人のミイラが見つかっています。北京から400、500km南東に位置し ている山西省の大原市からも白人が埋葬された墳墓が見つかっています。このことから1500年前にはすでに白人がかなり移住していたと考えられます。

山東省といえば、韓国や日本の古人骨とよく似た弥生型人骨が見つかった場所である。しかも、中国の「春秋戦国時代」は日本の弥生時代と時代的にはほとんど同時代である。つまり、その時代の人骨に白人の遺伝子があるという事は弥生人の方が白人に近いという事である。そして、その弥生時代と同時期に生きていた人達が住んでいた場所に、それとは異なる現代の中央アジアの人達が支配し、さらに現代東アジア人が支配して遺伝子が次々と変わっているわけだから、現在の中国人が弥生人に似ているわけではないのである。上記のモンゴルの件と合わせたら新モンゴロイドと呼ばれていた人達こそ縄文人に近く、逆に白人的な形質と呼ばれていた人達の方が弥生人に近い可能性もあるわけだ。その線を突き詰めるとアイヌ琉球の方が弥生的だと表現する事もできる。

  • 古人骨からはY染色は調べられていない

そのアイヌ琉球が縄文系である証拠として挙げられるのが、Y染色ハプログループDである。このD系統は希少で、日本を除けば、チベットや南アジアの一部にしか残っていない事からこれが縄文系らしい。しかし、これがそもそもおかしい。縄文人は大陸から取り残された人達なら、なんでチベットみたいな大陸のど真ん中にまで行っているんだ?とか、マンモスを追って北からやってきたならなぜ北方にD系統がいないんだ?という事が気になる。そもそも古人骨からDNAを調べる方法ではほとんどが「ミトコンドリアDNA」が調べられている。このミトコンドリアDNAの方が数が圧倒的に多いから多少DNAが損失していても一部から復元しやすい。しかも男女どちらのDNAからも調べられるわけで膨大な情報が得られる。一方のY染色体は男の数だけしか見つからず、しかも数少ない核DNAの中から見つけ出さなければならないわけで古くなり風化しかけたものから探すのは困難である。琉球アイヌ、日本の比較は最近の人のデータを採取したもので、古代からその分布が続いていたかは分からない。日本語のサイトではここが一番情報が揃っているが、ほとんどが子孫のY染色体からの推測で、古いものも寒冷地で見つかるミイラばかりである。ミイラは人骨だけでなく、毛髪や皮膚からもDNAを採取できるわけで、しかも寒冷地ならば天然の冷凍保存状態なので、古人骨だけの縄文人弥生人とは全然条件が違うわけである。このサイトでも縄文人弥生人は「推測」だけでそのハプログループに分類されているだけで、まだ確証はない。つまり、D系統が縄文だというデータは存在しない。ネットでは憶測や妄想ばかりが行きかっているわけだ。願望だけでは真実には永久に辿りつけないだろう。

  • ハプログループと形質は関係ない

上記のサイトには最近テレビで見かけなくなったベッキーミトコンドリアDNAがD4a系統である事が書かれている。この系統は超長寿で弥生系に多いらしい。だが、ベッキーの見た目をよく観てほしいが、どう観ても弥生人骨復元標本のおっさんとは違う。蒙古ひだもキツくなく、平行二重で遠目に見たら白人そのものである。これはそもそもハプログループは遠い祖先の事しか分からないという事である。ハプログループが形質と無関係な以上、理論上は金髪碧眼のY染色体D系統のやしゃご、きしゃごだって作れる。形質というのは近い世代の影響が色濃く、ご先祖様は全く違う姿をしている場合も多い。Y染色体D系統だって、アンダマン、チベットアイヌは全然違う見た目をしているではないか。

つまり1パターンの顔ではないという事だ。そもそも弥生人骨自体が縄文人骨に比べると見つかる量が少ない。その上たくさんの形質があるという事はこの時代に日本は開けて、いろんな顔の人達がいた事になる。それが混血によるものなのか移民なのかはわからないが、このような弥生顔がほとんどだと考えるのもおかしい。発掘される人骨が相対的に少ないという事は見つからないだけで、弥生以降も縄文人の子孫達がたくさんいた可能性だってある。

  • 反大陸が縄文ではない、反縄文が弥生ではない

縄文土器は韓国で見つかった。つまり、大陸まで縄文人は行っている。また、弥生人ミトコンドリアDNAが多く見つかる場所で、縄文人ミトコンドリアDNAも多く見つかる。一方縄文人が見つからない場所では、弥生人のDNAも少ない。ということは最初からこの二つの人骨は同じ文化圏にいて、一緒に暮らしていた人達だと考えるのが自然。敵対者ではなく、むしろ血が交わっていた仲間ではないか?

とまぁ、自分でもよくここまで書けたもんだと思うが、私が言いたい事は一つで、弥生人こそ「日本固有種」だという事である。それは「弥生土器」は縄文土器と違って日本でしか見つからず、この「既存のものをよりよく改良する技術」というものこそ日本の文化の根幹にあるものだと思うからだ。もちろん、弥生人という表現は正しくない。アイヌ弥生人の子孫なのに弥生土器を作っていないように人種と文化は違う。だから二元論を捨てて正しく古代の人々を分類しよう。

1.人種が原始日本人で縄文時代の生活を続ける伝統保守(THE縄文人
2.人種が原始日本人で大陸文化を受け入れた革新派(倭人
3.人種が原始日本人と同祖だったが日本を捨て大陸へ行った人々(移民系)
4.人種は原始日本人ではないが縄文文化に惹かれた人々(続縄文人
5.人種は原始日本人ではないが倭に加わる人々(帰化人)
6.そもそも原始日本人ではないし、大陸文化しか知らない人(大陸人)

これが人種と民族を区切った上での正しい分類である。これまでは1と6しか論じられていなかった。しかし、実際の日本には1も6も存在しない。つまり「続縄文人アイヌの祖先)」、「倭人琉球人、本州人、朝鮮半島南部の祖先)」、「移民系(中国北東部、モンゴル人、朝鮮人の祖先)」「帰化人(中国南部、北方系ツングース)」の区分が正しい。

 さて全てがハッキリした今、全ての流れを考えよう。

 まず、日本列島に元々住んでいたのは我々と大して姿の変わらない「新モンゴロイド」でY染色体の系統でいうとCやO2系統の人達である。一番古いのはC系統で、O2系統が縄文後期に南方から稲作を持ってきたのだろう。CやO2は海の民族だったので、九州を拠点としてそのまま半島を経由して中国北東部あたりまで進出する。中華思想でいう北狄(モンゴル)は縄文人と分化してそのまま大陸人となった人達で、東夷(現在の中国大陸沿岸部、朝鮮)の海の民は「倭人」となって発展した。この倭とは大国ではなく、EUのような国の共同体の事である。「わ」の分化を受け入れ、貿易をしている共通の文化圏の事であり、その気になればいつでも一員になれた。当時はまだ原始的なシナ=チベット語族(D系統)がいて漢字を発明していなかった。このシナ=チベット語族と倭人が交わっていわゆる弥生人が生まれる。この弥生人戦国七雄の時代(弥生)に南方から来た秦に追われ彼らが追ってこれない海(日本)にやってきた。その際、九州にでなく山口(本州)にたくさん来たのは、そちらが発展しておらず、人が少なかったから。つまり、侵略ではなく、難民の非難場所に過ぎなかった。日本人の気質を考えればなぜ都市部を避けたのかは分かるだろう。九州にはすでに人がいたので「遠慮して」、新しく人が住み着くのに適していた過疎地にやってきたわけである。

 つまり私は日本人のD系統は弥生系だと定義する。南琉球Y染色体O2系統がいて、北部にD系統がいるのは、O2系統は海の民でD系統こそ後の時代(弥生)に大陸から来た人からである。アイヌは弥生とオホーツクの混血とみて間違いない。東北の白人系統も渡来系の影響を考えないといけない。私は佐々木希なんかも縄文顔ではなく、弥生顔だと見なす。

 「弥生人縄文人が逆だったとしても西日本と北東日本が対立していたのは事実でしょ?」と思うかもしれないが、ヤマトと蝦夷の対立が弥生時代に起こっていたかどうかはわからない。少なくとも文献で確認できるのは5世紀からで、つまり人種的な対立ではなく、大陸かネイティブかの文化的差異による対立だったのではないかと考える。

 日本人は縄文人の子孫であり、弥生人の子孫である。この事はやはり日本人が愛する文化を見ても分かる。そう我々が親しんでいる「マンガ」にこそ倭人の文化が入っているのである。

つづく