文化を衰退させるのは作品

 自分の中でトラウマになっているものがあって、それは「バスの中のビデオ上映」である。

 

 1つめは、父親が旅行に行く事になって、バスの中で見るビデオを母親に選ばせた時だ。*1実際に選ばれる事は無かったが、その候補となったのが中居正広主演の「模倣犯」である。内容は――レンタルとかで各々見てもらう事にして、際どい事を扱った作品である。*2もし、これ選んでたら「鈴木さん、何を見せているの?」とか思われて気まずい空気になっていただろう。見終わった後の母が「お父さん、中居の事ますます嫌いになるかもね」みたいな事を言った事もトラウマで、演者も仕事選べよと思った。

 

 これ、何も知らずに選んだ母も悪くないし、バスの中で仲間を楽しませようとした父も悪くないし、バスの中でビデオを見るという「文化」も悪くない。むしろ効率的ないい文化だと思う。誰が悪いのかというと、作品作りにおいて画面の外側が見えていなかった製作者だと思う。自分が好きなフェチ的なものとか、作品を通して伝えたい事があるのはいいけど、そういうのはマイルドにというか、さりげなくやれよと思う。表現者だったら直接描かなくても伝える事できるはずでしょ。

 

 2つめは映画の木更津キャッツアイで、内容はよく覚えていないけど、「ヤったヤってない」みたいな感じのお下劣な内容があったように思う。車酔いしたくない私は本も読まず、映画をガン見していたわけだが、内容が内容だけに車内がざわついて、女性とかがこっちの様子を覗いてくるわけである。こっちは作品に集中したいのに、真面目に見てると変に思われてしまう不快な感じ。笑う事が出来ない上に、内容も思ったよりつまらないのでムスっとしていたのだが、そんな様子を見てビデオを選んだ人や旅行を計画した人は残念そうな顔をしていた。トラウマもんである。

 

 エログロだけが問題なのかというと、そうでもない。3つめは私が学生時代に修学旅行でルパンがいい?コナンがいい?みたいに二つビデオがあって、投票制で選ぶという事があった。私はコナンの方は毎回見ていたので、ルパンに挙手し、結果ルパン派多数になった。が、これが失敗で、ルパンは当たり外れの差が大きく、私たちが引いたのはハズレのルパンで、間接的に選んだだけなのに思いっきりスベった形になってしまった。その後、口直しにコナンを上映したのだが、コナンは駄作と呼ばれるものでも比較的安定していて、この件以降自分の中での評価が上がった。*3

 

  これらの経験が重なって、私はバスの中では「寝る」か「窓の外の風景眺める」がベストな選択となり、ビデオが上映されていようが「無視する」ようになった。ビデオ上映自体は何も悪くないのに、トラウマがそうさせる。

 

 この「バスの中のビデオ上映」は、日の浅いカップルが見る映画でも、家族で遊ぶビデオゲームでも、友達に勧められたテレビアニメでも、何にでも言える事だと思う。観客の事を考えるというのはこういう事で、親しくない友達や年の離れた先生も満足させられないような作品はそもそもヒットしない。関心が失われたらジャンルそのものが死滅するという事は覚えておいてほしい。

 

 「この作品は万人向けじゃない」とかぬかすなら、最初から個展での限定公開とかにして人目につくところに出てくるなよと思う。「知名度とお金は欲しいです。ただ、そのための努力はしたくありません」とかただのワガママ。少なくとも私は「目の前の数人を満足させるまったりしたコンテンツ」にわざわざ乗り込んで雰囲気ぶちこわした覚えがないというか、そうならないようにジェムカンも後方支援にしたわけなんだけど。シン・ゴジラみたいなオタクしか喜ばないくせにやたらと吠えてるものとか、多くの人に受け入れられたい(目の前の数人→一般大衆に切り替えた)のに上手くいっていない作品について1視聴者として意見を言っているだけで、そこに考えが及ばない時点で今のオタク自体がオワってる。だったら閉じた世界でイキってればいい。

*1:この時点で、短気な私は「自分で選べ」と思うのだが、話が脱線するので止める。

*2:原作の時点でえぐい作品なのだが、その原作者が「おこ」になるようなアレンジを加えられていて、まぁ、一言で言うと駄作である。

*3:だからといって既に知っている作品に対してリアクションするのもキツい。