任天堂プレイステーション
誰か書いてくれないかなと思ったが、口うるさい人間が怖がらせているので、自分でやるしかない。まずは、ゲーム史が語られにくい原因である任天堂について考えてみよう。
任天堂は良い会社だろうか?たしかに子供向けのゲームが多く、ゲームの品質も高い。だが、ディズニーや(今は無いが)スタジオジブリだって、その点では共通している。ディズニーやジブリはアンチが多いから、「ここが問題!」「ここが変!」と言っても結構な人が納得してくれる。ところが任天堂が言っているおかしな発言についてツッコんでも同じような賛同は得られない。
ここら辺はゲハの問題が絡んでおり、任天堂に対する批判をするとソニーかマイクロソフトの回し者であるかのように扱われてしまう。レッテル張りによって「こっちが正しい」という論調に引きずられてしまう。任天堂が勝つかどうかはその時々によって違うが、基本的に「負けない」企業なので、とりあえず任天堂を推しとけば間違いがないという安易な判断を下す人は多い。また、クリエイターにとっては夢のホワイト企業というイメージがあるらしく、就活生や転職を考えるゲーム業界人にとっては「最後の砦」としてあまり悪く言わない。取材を取りに行きたいライターも悪く言わない。ソフトを提供したいサードパーティーも悪く言わない。ユーザー側でも詳しく知っている信者は悪く言わないし、興味ないユーザーはそもそも任天堂に詳しくないから浅くて中身のない批判しか出来ない。
なので、この偏りを解決するために、任天堂はそれなりに間違いも犯すし、大企業ではない単なる一企業に過ぎないんだという事を分かってもらうために、任天堂が失った3つのものについて調べてみた。
Nintendo Playstation Superdisc
私もつい最近まで知らなかった*1が、プレイステーションは任天堂スーパーファミコンの周辺機器だった。この事実は、これまで分からなかったいくつかの謎を解き明かすヒントでもある。
例えば、プレイステーションにはメモリーカードという別売りの記憶媒体があるが、なんでそんな商法を取っていたんだ?という疑問があった。*2が、本来メモリーカードの役割はスーパーファミコンのロムカセットが担っていたのではないだろうか?と思うのである。
また、コントローラに関しても、ニンテンドー64とスーパーファミコンのコントローラでは形状が全くのに対し、プレイステーションとスーパーファミコンではほとんど配置が同じという点も単なるパクリではなく、正統進化だったと考えると見方が変わってくる。
https://www.cesa.or.jp/efforts/keifu/kutaragi/kutaragi02.html
手元には圧倒的に高速・高容量、子供がちょっとやそっと乱暴に扱ってもびくともしない最先端の磁気記録システムがあります。何はさておき、まずはソニーの営業担当者を見つけ出し、二人で任天堂本社に飛び込みました。そこでアポイントをとって会ってくれたのが、当時ファミコンの開発責任者だった第二開発部の上村雅之氏でした。そこで、次のタイミングがあるのなら、ぜひこの2インチの高性能磁気ディスクシステムを検討して頂けないかと売り込んだのです。
しかし上村氏からは「遅すぎましたね」と言われてしまいました。しかも、その任天堂ディスクシステムも、比較的短期間にその役割を終えてしまいます。そこで私は、日頃からの思いである「いかに今のゲームの音源が我慢ならないか」「もっと音源を良くすれば、ゲームはさらにすごいものになる可能性があるのではないか」それから「もしPCM音源が家庭用ゲーム機の中に収まれば、ゲームで遊ぶ人だけではなく、作曲家や編曲家など、音楽に関係するさまざまな人たちや音楽業界がこぞって家庭用ゲームに入ってくると思う」と訴えたのです。そして、「その音源のシステムはソニーに提案させて下さい」と言い残しました。
スーパーファミコンのゲームミュージックは未だに評価が高いが、その背景にはソニーの協力があったという点も忘れてはいけない。GBAでリメイクされたMOTHER2は音源がショボいとか言われるが、そのMOTHER2の音がスーファミでカッコ良かったのはソニーの力であるという意外な事実がある。
(ゴージャス!)今度の冒険
(リアル!)きみもすぐに体験
憎いでやんすね こんチクショウ!
高画質の謎解きアクション!
任天堂のソフトは必ずしも質素なわけではない。例えばゼルダの伝説は初代のディスクシステムの時点からオープニングのフルートイントロ、伴奏に鐘の音が聞こえるなど、音に力が入ったゲームだった。ソニーやスクウェアへの対抗として作られた「時のオカリナ」も「3D画面」「イケメン主人公」「映画のようなカメラワーク」と、同じジャンルじゃねーかとツッコミを入れたくなる作りをしている。ブレスオブザワイルドのWiiUとSwitch比較でも映像の違いが取り上げられる事が多く、考えれば考えるほど、映像や音を大事にするメーカーだという印象しかない。
スクウェアエニックスと任天堂は和解しているわけだが、必ずしも任天堂優勢ではない。少なくともこの和解はスクウェアエニックス側に選択権があった。例えば今は社名が変わったらしいがブラウニーブラウンという会社があって、スクウェアからの離脱組が任天堂の傘下に加わっている。彼らはGBA版のMOTHER3の開発にも関わったらしい。任天堂も部分的にスクウェア的な面を持っている事になり、正反対の企業ではない。
また、スクウェア自体がFF映画での失敗、任天堂とゲームボーイ方面で付き合いのあったエニックスとの合併などがあった。任天堂自体には和解のコネもきっかけもなかったが、向こう側からやってきたという事になる。
これを見て「任天堂は正しかった事が証明された!」と言うのは歴史的には間違っているように感じる。たしかに現在のスクエニはFF15なんかでMOTHER3以上のポカをやらかし、一方で任天堂はホワイト企業扱いで業績もいいが、そういう「勝った者が正しい」という視点で過去を見てしまうと、見えないものがある。立場的にはハードを捨てる事が出来ない任天堂と、あらゆる選択肢があるスクウェアエニックスでは後者の方が強みを持っている。金だけで世の中は語れない。
3.枯れた技術の水平思考(横井軍平)
正直な話、これが一番言いたい事だった。横井軍平は昔の任天堂の人であって、今の任天堂の人ではない。先ほどのブラウニーブラウンがスクウェアと対立して、別会社になったように、横井軍平も任天堂から離脱し、株式会社コトを設立したのだから。
ニンテンドーDSのデザインというのも、ぶっちゃけていうと横井のパクリと言ってもいい。横井は当時の社長から「二つのゲームを同時に遊べないか」と言われて、1982年に折りたたみ式で、二つの液晶画面がある「ゲーム&ウォッチマルチスクリーン」を出している。任天堂が初めて十字キーを採用したゲーム機でもある。
ただし、間違えてもらっては困るのは、世界にない商品を作るということは、世界の最先端をゆく、世界にまだない技術を使おうということではありません。
「最先端」にこだわり、「不要」なものをたくさんつけて「高価」な玩具を作るとしたら、それこそ「大企業病」であり、「すきま」精神を忘れた行為だと思うのです。
例えば、ファミコンの外側は「とにかく値段を1万円以下にしたい」という精神のもと、私が指示して作ったものですが、今、常識のようになっている「十字キー」と呼ばれるコントローラーがあります。
あれはいかにしてコントローラーを安く作るかということから出てきたアイデアでした。当時のコントローラーはいわゆるジョイスティックというもので、大変コストがかかるものでした。どうしたら安くなるかというので思い出したのが『ゲーム・アンド・ウォッチ』の『ドンキーコング』という商品につけた十字スイッチでした。
皆さんも、お持ちになっている家電製品で、使い方がわからず、全く使ったことがない機能がいくつもある製品があるでしょう。ワープロやビデオにもそういうものがあります。これは、大企業が作る製品だからではないか、私などそんなことを考えることもありました。
「ゲームボーイ」の場合、ハードもソフトも同じ部内で開発していました。ハード屋に指示を出し、ソフト屋にそのハードでどんなことができるのかを検討させたのを見て、またハードのこの部分はいらない、ソフト屋はそんな機能は使わないといった作業を繰り返します。だからこそでき上がった商品はまるっきり贅肉のないものになりました。
つまり、いらない機能を全部捨てたからあの値段でできたのです。私は娯楽という分野ではそれが非常に重要なことだと思います。
もちろん、コンピュータだとそうはいきません。パソコンは誰がどんな目的で使うかわからないので、あらゆる機能をくっつけるしかない、という設計思想で作っているからです。これはある意味では正しいと言えるでしょう。
(中略)
もともと先端技術は娯楽品を作るために出てきたものではありません。軍事であったり医療であったり、そういうもののために出てきた技術です。それがだんだんいろんな用途に使われていくうちに値段が安くなっていく。
しかし娯楽に使おうとはまだ誰も考えつかない――――そこを狙うのが利口なやり方であり、私が言う「世界にまだない商品」の開発なのです。
別な言い方をすると「枯れた技術の水平思考」です。炭素繊維がいい例でしょう。最初は宇宙開発に使われ、次に飛行機の主翼になり、結局身近になって釣竿とゴルフクラブでヒットしています。
ソニーのウォークマンがいい例です。先端技術がヒット商品に結びつくわけじゃない。ソニーの技術でなければできないものでもけっしてない。ああいう閃きこそ重要なんです。
今度発売になった『NINTENDO64』はそういう意味では私の商品開発哲学とは違います。だからといって『64』が間違っているなどと大それたことも言いません。『64』が大ヒットすればその考えもまた正しかったということでしょう。
横井軍平はバーチャルボーイをはじめとして失敗も多いが、だから間違っている、語る必要がないというのは勝者の正当性だけを語る歴史観になってしまう。任天堂を語りたいのだったら横井抜きには出来ない。
個人的に腹が立つのは、任天堂ファンは都合のいい時だけ横井の名前を出すという事だ。例えばニンテンドーラボは個人的には横井の考えとは違う商品なのではないか?と疑念を抱いている。ダンボールは「技術」なのか?というところが気になるし、そもそもAMAZON全盛である今、需要のあるダンボールが「枯れている」か?という事も納得がいかない。さらに値段面で言えば本体と別売りで7000円近く取るというのも横井の哲学と違うんじゃないのか?と思う。褒めるにしても横井の名前は出さないでほしい。スマホの登場で需要がなくなった腕時計を利用する身につけるゲームみたいな方が横井の考えに近い。
ちなみに横井が辞めた後のニンテンドースペースワールド97の資料が手元にある。ここにはニンテンド-64の真の姿である64DD(ディスクドライブ)についても記載されている。キャプチャーカセット(仮称)という64のロムカセットの後ろにオーディオ、ビデオ、マイク端子がついていて、NINTENDO64マウスなるパソコンそのまんまのマウスもある。これらを用いた「マリオアーティスト」シリーズというものが考案されていて、「タレントメーカー」「ピクチャーメーカー」「ポリゴンメーカー」というものが企画されていた。
これらのシリーズは64の下に取り付けたディスクシステムにソフトを入れ、64マウスはコントローラーの差し込み口に装着する。ロムカセットは64本体に差し込み後ろ側にある端子とビデオテープレコーダーや家庭用ビデオカメラと接続する。多分言葉で説明しても意味不明だと思うが、一言で言えば家電製品であり、パソコンであり、今のYouTube動画作成環境と大差がない。それをゲーム機でやろうとしているのである。横井の考えるゲームとは全然違う。ちなみにこの64DDには他にも「MOTHER3奇怪生物の森」「シムシティー64」「スーパーマリオRPG2」というタイトルが並び色々な妄想をかき立てる。ちなみに「ニンテンドー64」という64bitという性能を前面に押し出した「らしくない」ネーミングはMOTHERの糸井重里によるものらしい。任天堂が何を捨て、何を手に入れようとしていたのかがよくわかる。
別にソニーやスクウェアを批判しようが、それは構わないのだが、自分たちも同じ方向へ向かっていたのに、それをなかった事にしようとする歴史観には納得がいかない。皮肉な話で、売れたのは64ではなくプレイステーション。そのきっかけはファイナルファンタジー7。任天堂を救ったのは横井の置き土産であるゲームボーイであり、本社ではなく、子会社が作ったポケモンによるものである。この事実を忘れ、再び大企業病になろうとしている任天堂を応援する気は古参ゲーマーである私にはない。
関連
2020/4/19 追記
今見るとだいぶ感情的だったなと反省している。「任天堂プレイステーションって何やねん!周辺機器の時からソニー製だ!」みたいなツッコミ*3があったけど、引用動画にNintendo PlayStationとあったため。
VTuber
VTuberに関しては完全に「にわか」を名乗っていたが、そもそも今年になってVTuberデビューした人が多いらしく、実際の所自分以外も「にわか」ではないか?と思うようになってきた。それで、最近になって分かってきた事があるのでとりあえずメモる。
VTuberってものすごく「ツクール界隈」に似ている気がする。コンシューマゲームっていうのは、当たり前だけど「一般人が遊ぶ」ゲームで、ゲーマーだけじゃなく「ゲーム何それおいしいの?」みたいな人達が客として普通に遊んでいる。それはおもちゃ屋とか家電店とかに陳列してあるからで、人目につきやすいところに置いてあるという事が大きい。
「ツクール製のゲーム」はちょっと違う。基本的には誰でも遊べるんだけど、ツクール製のゲームを遊ぶのは、同じくRPGツクールで物を作っている人とか、フリーゲーム専門で遊んでいる人が多い。下手すると「ツクール製」というだけで一般人は避けていたりする。そのため、客も作り手も「ツクール界隈」の中だけで完結していて、一部の才能あるケースを除いて、大きな広がりを見せる事が少ない。
なので、VTuberが有名になるためには、ジャスティン・ビーバーがピコ太郎を拾ってくれたように「ものすごーい人」に興味を持ってもらう事が必要だが、今のところそこまでいっていないのが現状。
主流なのは既存メディアに登場する事だが、VTuber自体が外部と関係を持ちにくい存在である。なぜなら基本的にVTuberとは「顔出しNGのYouTuber」の事だからだ。リアル世界でイベントを行う際にはディスプレイが必要になるが、一緒に仕事をしてくれる相手がよほどVTuberに理解がある人で無い限りそのセッティングはVTuber側が行わなければいけない。ところが一人でやっている場合にはセッティングも当然一人でやらなければいけないため、前述の「顔出しNG」がネックになって、仕事が出来ないという事につながる。そういう事を代行する「スタッフ」がいる事が最低条件で、さらに外部との「コネ」を作ってくれる人も必要なので、有名になりたいのなら企業がバックにいた方がやりやすいジャンルになっている。
現状では、VTuberのファンはVTuber界隈の人と結論づけていいように思う。
【実写】大好きなVTuberさんのリアルライブ行ってきた!!!!
この動画の最大のツッコミどころは、ライブをやっているアーティストよりも、観客であるファン(この人も違う分野のアーティスト)の方がチャンネル登録者数が多いという事である。*1ファンの方がフォロワーが多いという奇妙な光景が存在する。
ただ、私個人としては、チャンネル登録者数というのはそんなに重要な要素だとは思っていない。その根拠は今人気なコンテンツが10年後20年後人気だとは限らないからだ。
YouTuberの上位ランキングを見てみると、まだ若い人が多い事が分かる。彼らがおバカな事をやっても「あるあるw」みたいな感じで許されたとして、同じ事を40代、50代のおっさんがやっていたら「この人大丈夫か?」と心配されてしまうだろう。長い目で見たら現状の人気はあまり意味がないように思う。*2
またチャンネル登録はYouTubeのアカウントでログインしている事が前提で、いわゆる「動画投稿を行っているような」配信者に近いポジションのユーザーが対象である。「見るの専門」という一見さんのチラ見なんかは含まれていないと考えるのが自然。ついでにいうとボタン一つの簡単な操作なので、実際には毎日来ないけど、気に入った動画が1つだけ合ったから登録しただけの「熱心ではないファン」も多いと考えられる。本当の意味での「ファン」はチャンネル登録者数からは把握できないのではないか?と思っている。*3
YouTubeはどうやらグーグル系らしく、検索結果が偏っているのもアレである。検索して上位に出てくるのは、ベテランによる数百万再生の動画が多く、新人を拾う事は稀である。そのため、専業YouTuberで動画作成になれていて、時間もたっぷりある人間が強いという結果になっている。現状では「Twitterで有名になってチャンネル登録者数を増やそう」みたいなものすごくおかしな宣伝しか出来ていない。動画の面白さを伝えるのに、動画と全く逆の形式を利用するという本末転倒な事になっている。正直、YouTubeが廃れないためにはここら辺早く直してほしいところである。
いまのところVTuberで「稼ごう」というのはハッキリ言ってオススメしない。けれども、「やりたい事やろう」というのであれば充分可能である。ツクールの世界も金にはならないが、「やりたい事やろう」の精神で作られた作品が多く、それが魅力となっている。長い目で見たらそういう方向のコンテンツの方が寿命は長いと思う。なので、数字に囚われて悲観する必要はないと思う。コンシューマゲームの中にクソゲーがあったりするように、人々の見方さえ変われば風向きも変わる。
なお、これは「一般論」であって、こういうやり方をすればいいのになぁというアイディアも考えているが、それは自分もコッソリデビューした時のために取っておこうと思う。
2020/4/5追記
2020年現在デビューしたくない世界です。
おまけ
【7月22日】ワンピースでVTuberやってみた【ONE PIECEの日記念】
日本よ、これがプロだ。
燃えろよ萌えろ
↑こんな記事を書いたわけだが、↓こんな記事を見つけてしまった。
時間がない人向けまとめ
あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!(ry
炎上していたのはキズナアイ(&NHK)じゃない方だった。考えてみたら炎上騒ぎを取り上げていたのはyahooニュースだけだった。もうyahooニュース見ない。
2020/4/5追記
もう見ないと言いつつ、新型コロナウィルス関連で見ちまった。反省
あれから自分で色々調べてみたけど、やっぱり日本のフェミニストはバカでクズなんだなという事を再認識させられた。
1.kawaiiは古い(日本ではダサい)
最初に海外で人気を獲得した国は、韓国です。
2017年1月3日に、韓国語Wikipedia的サイト「나무위키(namu)」でキズナアイさんの記事が作られました。(どんな経緯で最初に知った人がいたのかは不明です。日本好きの韓国人が知ったのでしょうか。)
そして1月26日には、ハングル字幕が映像として入った動画が、韓国のニコニコ動画的サイト「TVple」でいくつかアップされ、これが人気に。その後、Youtubeでも韓国語字幕が作られるようになりました。
アメリカや中国かと思ったら韓国でブームになったのがきっかけらしい。意外。一方その頃の日本人は「けものフレンズ」に夢中だったらしい。つまり、キズナアイに男尊女卑を見いだすフェミニストは、日本人ではなく韓国人を始めとするキズナアイを拾った世界に対して批判している事になる。むしろ日本人はスルーしていたのだから、キズナアイに日本人の感性を見いだそうとするのは最初からズレている事になる。
言っちゃっていいのか分からないけど、キズナアイはセンスが(良くも悪くも)80年代あたりで止まっている気がする。例えばキズナアイのテーマカラーは「ピンク」だけど、これが今の若い世代にはヒットしないと思う。
例えば初音ミクって自分の中では「カッコイイ」に分類すべきキャラクターだ。「かわいい」っていうのは必要最低条件であって、それプラス「カッコイイ」があったからヒットしたんじゃないだろうか?と勝手に思ってる。「ブルーグリーン」のカラーとか「SFチックなファッション」とかあの辺カッコイイデザインだと思うわけで、NHKの解説サイトもピンクじゃなくブルーグリーンで受け答えしていたら印象が違ったのではないだろうか?*1
フェミニスト的には「ピンク」という色自体が、「おピンク」みたいな性的な物を匂わすので嫌いな色になるのだろう。もっともピンクが「エロい」と捉える文化は全世界共通ではなく、アメリカでは「青」、スペイン(だったと思う)では「緑」、フランスでは「白」、中国では「黄色」とバラバラである。なので「ピンク=性的」はその文化圏を出たら全く通用しないものである。*2
ロシアのメドちゃんがセーラームーンが好きなように、海外ってのは時間の流れが違っていて、流行も違う。地下足袋やランドセルが流行るように、こちらからするとおっさんおばさん向けのものが向こうの先端だったりするわけで。キズナアイがバーチャルYouTuberであり、YouTubeを主戦場にし、日本人向けのニコニコ動画発でない事からも、海外向けのコンテンツであるという側面が強い気がする。
日本のBBCを狙うNHKからしたら世界的なコンテンツを味方につけたいし、日本での人気を得たいキズナアイはNHKと仕事をする事は箔をつける事につながる。本来はwin-winの関係であり、横やりが入るのはおかしい構図だった。
2.キズナアイは女性視点のコンテンツ
【Doki Doki Literature Club!】#1 キズナアイ史上初、ギャルゲーに挑戦!
アイ「ねー、こんな可愛い幼なじみ心配させちゃダメだよ。」
「ウザい!『約束はできないけどな』約束しとけ!ウザいぞなんかコイツ……。」
「やったー。」
「なーんかめっちゃ主人公ウザ~い!何の上から目線なの?この人。この主人公嫌いだなぁ……。」
アイ「え、なんかね、この主人公ホントに嫌い…本当嫌い…この人…」
「コレ、サヨリちゃんがやさしいから成り立っているんであって、いつのまにか学校生活終わって教室でボーッとしてて最後のひとりなのにも気づかない友達がいねぇぼっちは!サヨリちゃんがいなかったら!終わってっからな!お前の学校生活よぉ!」
多分、知らない人は説明されないと分からないと思うから説明する。これはゲーム実況動画と言って、ゲームを遊びながら思った事考えた事を口にして動画にしたものである。「他の人はこんな遊び方するんだ」という発見があるので、それなりに人気ジャンルである。で、上記の動画では「アメリカ人が作ったギャルゲー」に対してツッコミを入れまくっているわけである。
いわゆる「ハーレムアニメ」に代表されるような主人公の周りに女の子たくさんの系譜なのだが、キズナアイは主人公(男)ではなく、ヒロイン(女)に肩入れして「この主人公嫌い」と言っているのである。キズナアイはフェミニストが言うような「消費」と戦う側のキャラクターのように見えるし、だからこそハーレムアニメに飽き飽きしている海外でも受け入れやすい存在になっていると思うのだが。
また、「乳袋」などと揶揄されたキャラクターデザインだが、担当したのは森倉円さんという方らしい。
森倉:子どもが産まれたのは大きな体験でした。出産した頃は生活リズムの変化に慣れず、ストレスを感じることもあったのですが、「そのときの状況に合わせて優先順位を変化させていいのかも」と思うようになってから、気持ちが楽になりました。
──優先順位、ですか。
森倉:イラストを制作することをとっても、以前までは「描きたいときに描く」という傾向があったんです。そうすると、イラスト制作に充てる時間が不規則になりますよね。でも、今は主に子どもを保育園に預けている時間だけに描くようにしています。
それから、なるべくはじめから余裕をもったスケジュールを立てるように変えました。子どもや家族が病気になったり、何かしらの用事が入ったりするときもあるので、時間に余裕があった方が対応しやすいですから。
偏見かもしれないが、「育児中イラストレーター」を自称したり、出産の話を出すのは「女性」の可能性が高いのではないだろうか?フェミニストどもが「いるかどうかも分からない存在」を守った一方で、現実にいる2人の女性(しかも社会に受け入れられるために必死)を傷つけた事になる。
もちろん、中の人、キャラデザ、どちらも「実は男」という可能性が微粒子レベルで存在するが、その場合「女性目線の男」と、「イクメンイラストレーター」という味方を攻撃した事になるわけで、どのみち救われない話である。
3.そもそも(日本の)オタクはフェミニストである
こんな記事も見つけた。
萌え絵はポルノではなく、脱ポルノ
以上のように、萌え絵の起源は少女雑誌であり、行き着いた先は脱ポルノである。またよく言われるような性的モノ化ではなく、絵というモノに人格と物語を与えるヒト化でもあることがお分かりいただけるだろう。この他ライトノベルと呼ばれるジャンルにおける挿絵や80年代ロリコンブーム、宮崎アニメにおけるペドフィリア的特性にも言及したかったのだがタイミングがなかった。
こうした萌え絵の脱ポルノの歴史を踏まえずポルノで利用されてきたシーンを誇張するから村上隆のフィギュアはたいへん嫌われるのである。もちろん商業的にポルノ的側面を誇張した萌え絵作品も現代においても存在する。だが萌え絵の本質的なあり方ではない。
萌え絵は少女雑誌から来て、ただの絵に人格をもたらしたある種の「人間の再生」なのである。
詳細は上記リンクを辿ってほしいのだが、萌え絵は少女漫画から生まれて、少女漫画は少女雑誌のイラストレーションから生まれたものらしい。つまり本来女性向けの絵柄だったのである。
個人的にはKEYのゲームなんかを知っているので、非常に納得できる話である。女の裸が見れれば充分という世界に、少女漫画の絵が入ってきて、それと同時に精神的なつながりみたいなお話が入ってくるというのは確かにそうだったと記憶している。しかも、本来女ユーザーなんているわけねーよ!というジャンルなのにKEYには女性ファン多かったし、多分KEY以前にもいたんだろうなとは思う。
それにアメコミって言うと「筋肉マッチョヒーロー」が定番なのに、日本には「少年マンガ」「少女漫画」両方あるっていうのもすごい事じゃないか?ゲームだって、海外では国盗り物とか兵隊ものみたいな「戦争を題材としたゲーム」が多いのに、日本では「どうぶつの森」みたいな日常系ゆるほわゲームみたいなのが流行ったりしているわけである。女性の目線というか女性受けを考えて作られているわけで、オタクほどフェミニストに染められた人種っていないと思うのだが、それを敵に回すとか一体何を考えているのだろうか?*3
4.キズナアイは「女性」ではなかった!?
自称「インテリジェントなスーパーAI」だが、頭脳はかなりぽんこつ。「AIなので男でも女でもない」らしく、性別を改めて問い質されると必ず逸らかす。
「アイ」はAI(人工知能)から来ているので、Siriみたいなものらしい。
……ここのところ、宮崎駿とか東浩紀とかNHKとか嫌いなやつを擁護する事が多くなってきている気がして、自分の立ち位置を忘れる。320人の常識人のみなさんがいてくれたのがせめてもの救いである。
性的コンテンツ
NHKノーベル賞解説サイトでこのイラストを使う感覚を疑う。女性の体はしばしばこの社会では性的に強調した描写されアイキャッチの具にされるがよりによってNHKのサイトでやめて。このサイトで女性受賞者は少ないの?とか書いてるけどこれじゃ理由わかんないんだろう https://t.co/BlRyawbXaf pic.twitter.com/JwekrmMJHT
— 弁護士 太田啓子 (@katepanda2) October 2, 2018
一部でしか話題になっていないが、女性弁護士がキズナアイとNHKにケンカをふっかけたらしい。キズナアイもNHKも別に潰されて構わないが、この女性弁護士の意見には「?」となるものがあり、それに対して賛同や賞賛の声が上がる事にも疑問を持つ。
news.yahoo.co.jp 正直、「誰がテレビをつまらなくしたか」のテンプレートに使ってもいいレベルのいちゃもんだが、キズナアイやNHKも面白いコンテンツだとは思わないので、どっちもどっちであった。
1.本当に性的か?
sudzuking.hatenadiary.com キリスト教基準で言うと、「ヘソだし」「ふともも」がマズい。が、逆に言うと「そこだけ」でそれ以外は布を付けてる率が高い。当該ページを見ても何がまずいのかよく分からなかった。二次元キャラの中で飛び抜けて露出が高いわけでもない。アクビちゃんや初音ミクが性的か?と訊かれても「いや別に」レベルである。が、彼女の批判に納得した人はどこからかこのキャラクターに「性的」なものを感じるらしい。この「性」は男が考える「エロ」とは別物と考えた方がいいだろう。
関係者じゃないのでわかりません。
そういえば2/24に、NHK-WORLDのimagine-nation という番組の東方Project特集回が再放送されるそうです。前回見逃した方はこの際是非(自分です)http://t.co/u6op9wjJjX
— 博麗神主 (@korindo) February 23, 2015
ただ、NHKは他の民法が無視を決め込む中、いち早く「東方project」に触れたメディアである。なので、今の若者や世界はどんな事に興味を持っているのか?というアンテナは常に張っていると考えられる。
キズナアイは日本というよりも、海外で受けているキャラクターだ。ここら辺は彼女のYouTubeチャンネル(ゲーム系)を見れば、分かる。選んでいるゲームもそうだが、英語字幕も(ファンメイドかもしれないが)付けられるなど、世界的コンテンツで、だからこそニコニコ動画ではなく、YouTubeで配信している。
普段「ノーベル賞なんて興味ないよ」と思っている層に、今話題のキャラを使って説明してあげようというのはよくある手法であって珍しい事じゃない。
3.彼女は何に怒ったのか?
NHKノーベル賞解説サイトで
このイラストを使う感覚を疑う。
女性の体はしばしばこの社会では
性的に強調した描写されアイキャッチの具にされるが
よりによってNHKのサイトでやめて。
このサイトで女性受賞者は少ないの?とか書いてるけどこれじゃ理由わかんないんだろう
「~した~され~されるが」が読みづらかったので区切った。「よりによって~やめて」が日本語としてよく分からないので誤読があるかもしれないが、とりあえず読み取ろうと思う。
2020/4/5追記
よりによってNHKのサイトで(やるのは)やめて(ほしい)って事だろうか?「やる」と「やめる」という逆の表現で受け取ってしまったので読み取れなかった。
「NHKノーベル賞解説サイト」「よりによってNHKのサイト」とあるように彼女にとってNHKはそんなイラストを使ってはいけない存在らしい。これは「営利企業と無関係であるNHKが企業臭さのただようキズナアイと関わりを持った」と捉える事もできるし、「弱者ワッショイの反日左翼NHKがよりにもよって社会強者の男性向けコンテンツの萌えキャラ使うなんて」とも捉えられるし、「NHKというクソ真面目な権威がキズナアイとかいうふざけた存在を認めるなんて」という風にも取れる。いずれにしろ民法だったらここまで言われなかったのかもしれない。
次に「女性の体は」とあるように彼女はキズナアイの「ぶりっこな喋り方や身振り」に怒っているのではなく、サイト内に女体がベタベタ「アイキャッチの具」として貼り付けてある事が気に入らないのだろう。
しかし、実際のインタビューでは上半身しか映っておらず、「へそ」「ふともも」と言ったアウト要素が削られている。ちなみに「脇の下」は欧米基準では性的ではない。男の目を引く衣装だから禁止!というのはどちらかというとイスラム教の考えであって、世界のフェミニストが戦っている価値観である。
4.彼女はフェミニストなのか?
「クソフェミ」みたいな事を言われているが、彼女の思想はどちらかというと保守である。アメリカのレディーガガは「左」寄りで、トランプ大統領が「右」だとすると、彼女は右そのものである。マジモンのフェミニストはフリーセックス万歳!家族という枠組みは古い!というクソビッチなので、「女らしい体で何が悪い」という意見の方が多い。
また彼女のいう「女性の体」はバーチャル上の存在であるキズナアイには無い。これが雑誌のグラビアやポルノ女優のような実物があって、実際に傷つく「体」というものがあるのなら、「女性を守りたい」という意思があるように思える。しかし、実際には無い物を守ろうとする不思議な事になっている。彼女の目的が「女性を守りたい」以外にあるのではと疑念を持つ。
「非実在青少年」の問題と似ているが、あれも右寄りの党が賛成していた。自民党政権下で女性自衛官が海外派遣されるし、女性も戦車に乗れるようになった。女性が活躍するすごい時代だ。私は応援しないけど、社会が望むのならば仕方の無い事だ。頑張って下さい。
5.表現規制は正義か?
誇張しすぎは問題だが、表現そのものの規制は危険である。その昔ちびくろサンボという作品があって、アフリカにはいない虎が出てくる事から分かる通り、本当はインド人の子の話だと思われるのだが、黒人差別の表現だとして廃刊にまで追い込まれた。それと時を同じくして肌を黒く表現することによるクレームを恐れたクリエイターや出版社が「腫れ物」扱いして、「自主規制」するようになった。その結果アニメやマンガなんかは世界に進出するメディアになったのに肌の白いキャラクターばかりになってしまった。
表現を規制した結果「黒人差別」がなくなったかというと、「なくなっていない」わけで、何も効果がなかったわけである。FGOなんかで褐色のキャラクターが描けるようになって本当によかったと思っている。まぁ、黒人キャラと引き換えに今度は女の子キャラが消えそうなんだが。キズナアイはファッションはともかくとして、「女性の体」としては抑え気味な方であり、どこら辺が誇張されているのか疑問である。
6.性的コンテンツは悪か?
まあ、普段からエロい事してるわけだし
匿名の質問箱なんて設けたら
『おま●こびろびろろー』とか
『きみのおま●こ僕の唾液でびしょびしょにしてあげるよー』
みたいなクソメッセージがたくさんくるんだろうなあ。
と思って、不快な言葉はスパムにしてくれるマシュマロというサービスを使ってメッセージを募集することにしました。ところがどっこい!
いざ募集をはじめてみたら、本当に真剣な質問が沢山寄せられるようになったのです!
(中略)
この活動を始めて現在二ヶ月ぐらいですが、本当に沢山の人が性の話をなかなか人にできず悩んでいるのだとわかりました。
わっちは先生ではないので『わっちのもってる知識を皆んなに教えたい!』というスタンスではなく、
ひとりの『えっち愛好家』として、おゆかり♨️様達と、リアルの世界ではなかなか出来ない性の話をどんどんしていきたいと思ってます!もちろん、求めてない人に強要するつもりはありません。必要としてる人にちゃんと届くように、頑張っていきます。
『バーチャルからリアルをかえるんだ』
ミソシタさんが歌う歌詞が現実になる日がくるって信じてます。
多くは語らないが、性に緩い社会だからこそ出来る事もあるのである。性的コンテンツに関わっている全員が差別的なのでもなければ、悪人でもない。ちなみに、念のため言っておくがキズナアイはエロやお色気を売りにしていないし、そういうのを誰も求めていない。
7.本当に「キズナアイ」に怒っているのか?
理屈で考えれば考えるほど、なぜキズナアイが批判されるのか理由が分からなくなる。そして、この女弁護士の意見に賛同する意見が多いというのが何よりも驚きだ。思うに彼ら彼女らはキズナアイではなく、「二次元萌え」と言っている男や「電車内でエロいの見ている」男などに普段からフラストレーションがたまっていたのではないだろうか。それがたまたま彼女のツイートによって爆発しただけで、理由などどうでもよいのではないだろうか。理屈ではなく感情だけで動いているだけと考えると理解できる。
この程度で扇動されてしまうというのが、戦争前の日本人と同じメンタリティでヤな感じである。今はいい時代であるのと同時に恐ろしい時代だ。
ニンゲンの逆襲【ゴジラの逆襲】
今作は、焼き直し感が強い作品であるが、特にキャラクターはダブって見える。例えばヒロインが社長令嬢といういいとこのお嬢さんで、前作の博士の娘とイメージがカブる。また主人公達の関係が実は三角関係で、相手の男が最後は死んでしまうという話の流れも同じなのである。
言葉に重みがあった前作と違って、全体的に軽くなっているので印象にも残りづらくなっている。が、大人になって改めて見ると、この「イメージの共有」には深い意味があるという事に気づく。ゴジラの逆襲は「ゴジラ」から次のように変換されている。
最初のシーン
海(船)→空(飛行機)
主人公
尾形秀人(南海サルベージKK所長)→月岡正一(海洋漁業KKパイロット)
・海の中に潜る仕事→海の上空を飛ぶ仕事
・自らの保身ばかり考える男→命知らずな男
ヒロイン
山根恵美子→山路秀美
・自分への好意に最後まで鈍感→自分への好意に最後は気づく
恋敵
芹沢大助(科学者)→小林弘治(海洋漁業KKパイロット)
・顔と心にキズを負った悩める男→ひょうきんな三枚目
・ヒロインと主人公の仲に気づいていない→ヒロインと主人公の仲を応援している
・秘密をヒロインに打ち明ける→最後まで心の内に秘める
ヒロインの父
山根恭平博士(古生物学者)→山路耕平(海洋漁業KK社長)
・恐竜の心配をする→人々や街の心配をする
・若者2人の恋愛に気づかない父→娘達の婚約を把握している父
専門家
山根恭平博士(古生物学者)→山根恭平博士(古生物学者)
・助言が伝わらず、事態が悪化→助言が伝わり、対策が打たれる
被害者
テレビ塔のアナウンサー→タンクへ突っ込む囚人
・自己犠牲の被害者→利己的な被害者
・逃げない→逃げてる最中
東京都民→大阪府民
・ちくしょうちくしょう→また再建しよう
・「ママー」と泣き叫ぶ子供→ジョークを言い合う大人たち
・人間だけを襲うゴジラ→アンギラスと戦うゴジラ
・まだ誰も見た事がない存在→東京に出現したものと同類
・なかなか姿を現さない→冒頭から姿を現す
・200万年前のジュラ記~白亜紀→およそ7千万年前~1億5千年前(地質時代)
・のろいゴジラ→素早いプロレスゴジラ
切り札
オキシジェンデストロイヤー→氷山と爆撃機
・空想の産物→現実にあるもの
・1度きり→条件が合えば何度でも
・人間の発明力→大自然の力
最後のセリフ
最後の一匹だとは思えない→とうとうゴジラをやっつけたぞ
・年老いた博士の一言→若い男の一言
最後のシーン
島
大戸島→神子島
・東京の昔から人が住んでる島→北海道(厳密には北方領土)の人が住めない島
こうして見ると全体的にハッピーエンドになるように話が書き換えられている事がわかる。誤解しないでいただきたいが、別に大阪は脳天気で東京は暗いという話ではなく、前作でかけられてしまった「呪い」をとくために今作は作られたのである。
たとえば、主人公がものすごく「主人公してる」のである。
秀美「こちら支社、こちら支社、月岡機応答せよ
月岡「こちら月岡機、未だゴジラ発見できず。終わりどうぞ
秀美「天候急変の恐れあり。捜査を打ち切り、直ちに帰還せよ、終わりどうぞ
月岡「なお捜査を継続したし、現在位置北緯50度、東経147度30分。
秀美「まぁ、そんな遠くまで探す必要ないわ。もうすぐ他所の国じゃないの。早くお帰んなさい」
月岡「了解了解心配ご無用
秀美「こちら支社、こちら支社、月岡機応答せよ
月岡「こちら月岡機。なお捜査を続行中
秀美「月岡機!月岡機!直ちに帰還せよ!
(無言)
秀美「いじわる!」
劇中でのやりとりを引用した。前作の尾形はゴジラを倒す事ばかり考えて山根博士を怒らせたり、ラストシーンでは芹沢より先に海上に浮上したため心中を許してしまっていた。月岡は尾形のような「我が身が大事」みたいな価値観は持っていない。好感の持てるキャラクターになっている。
主人公のみならず、登場人物全員が「自分ができる最善の選択を成功させている」のである。ちょいと昔の作品になってしまうが、「ひぐらしのなく頃に」や「シュタインズゲート」みたいに不幸な結末の中で、全員を幸せにするルートを見つけた話が「ゴジラの逆襲」なのである。なので、ご都合主義に見えるのも当然と言えば当然である。
「ひぐらし」や「シュタインズゲート」では苦労しているパートがあるから感動するが、「ゴジラの逆襲」では苦労パートを前作「ゴジラ」で描いているため、作品単体で見るとどうしても薄っぺらになってしまうのである。前作公開からわずか半年で公開されているので、ほぼ同時に上映されたようなもんである。それぞれ前編、後編と言ってもいいレベルで、前作のイメージが固定化される前にちゃんとした決着を描こうという意思表示のようにも見える。
この変更は原作を担当した「香山滋」によるものだろう。前作で、原作改変されたゴジラを見た香山はゴジラに感情移入してしまった。そしてゴジラを「殺す」以外の方法で倒す方法を考え、氷のなかで眠らせるという方法を使ったのである。その後ゴジラが長い事死ななかったのは、子供向け作品だからとか、お化けだからというよりも、こういった原作者の意向を汲んでいたところがある。
私みたいなゴジラファンは「これってゴジラ活躍しなくて人間の逆襲じゃね?」と思ってしまうし、一部の「政治利用」や「宗教」扱いしたい人にとっては「およそ7千万年前~1億5千年前(地質時代)の生き物」という不都合な事をなかった事にしたいらしく、「ゴジラの逆襲」という作品はあまり語られない傾向にある。が、シンゴジラが評価されるような時代には逆にゴジラの逆襲で感動できるんじゃね?とも思うのである。ネット上の評判が良くないから見ていなかった人も、1度でいいから(前作を見た上で)本作を見ておくべきである。